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姉李淑珍の死(写真付)

2012-12-03 ソース:Kaiwind 作者:張慧蘭(口述)陳羲(整理)


李淑珍の生前写真


張慧蘭といい、今年63歳、家は吉林省通化県快大茂鎮東安南街に住んでいる。私には、いい姉がいる。李淑珍といい、私よりただ12日間年上だ。小さい頃から家は隣だし、同じ年に嫁に行ったし、同じ年に子供を産んだ。実の姉ではないが、実の姉より仲はよかった。


1997年3月、上の孫亮亮が長春に生まれた。私はお産をしてから一ヶ月以内の息子嫁を世話するため、そちらへ行った。9月に家に戻って、淑珍と再会した時、彼女はガラッとわかったみたいに、話の内容は李師匠が不思議な功力を持っているとか、法輪功が業力が消されて病気を治すとかばかりだった。私はよくわからなかった。普段何でも話してくれたいい姉はどうして急に変わったのか。


淑珍の下の息子嫁桂香(淑珍の下の息子は淑珍夫婦と一緒に住んでた)から話を聞いた。私が長春に行ったばかり、淑珍はつまらなくて法輪功の練習を始めた。毎朝時間通りに集合場所へ行って座禅を組んで練習した。しばらくしたら、気持ちよくなったと感じたので、法輪功はすごい、体の病気なら何でも治療できると思いこんだ。そして、淑珍は薬をやめて、病院も行かなくなった。一筋に法輪功を学んだり、練習したりしてきた。


そのため、私はよく淑珍に助言した。しかし、効いてくれなかった。「師匠は言った。薬はいいものではない。薬である以上、三割は毒物だ。薬、点滴はただ体内部の業力を逆に増やすだけだ。功を練習したり、座禅を組んだりして、体内部の業力を排出するこそ、体が健康になれる。病気治療の根本は功の練習と座禅だ。その以外全部ウソ、役に立たない。」と彼女は言い返された。


淑珍の体の状況なら、私はよく知った。彼女は長い歳月に病気を抱えていた。普段血圧は高く、頭痛、眩暈、心悸、呼吸できないなど症状はよく出ていた。そのために、長期間降圧剤を飲んで抑えていた。効果はなかなか良かった。現在、急に薬を止めて大丈夫か。


私はわざと淑珍の病気を診断した丁医師に聞いた。丁医師は:そのおばあさんはよく知った。昔はよく診てあげた。典型的な高血圧患者だ。キチンと薬を飲めば、血圧が抑えられ、大丈夫だと思う」。淑珍が功を練習したため、長期間薬を止めたと聞いたら、丁医師はびっくりした:「血圧は抑えられなければ、循環システムの病気の原因になる。人は常に死亡する可能性がある。」


病院から帰って、淑珍の家族と対策を検討した。息子嫁桂香は料理を作った時、密かに珍菊降圧剤を淑珍の茶碗に入れて、わからせないため、他の調味料を多く入れた。やや面倒だが、よく効いた。


時間が経つと、淑珍は自慢そうに私に反問した:「私が言った通りだろう。やはり師匠の法力が効いている。二年間、薬は飲んでなかったのに、若くなって、丈夫になった。余計な話は言ってもしょうがない。私は事実で証明できた。」話を聞いた私はただ笑っただけ。


1997年7月、国は法律に従い、法輪功を取り上げた。テレビの中にニュースを見たら、すぐに淑珍に言った:もう練習や座禅を止めよう。あれで病気が治らないよ。きちんと薬を飲もう。しかし、淑珍は冷たく言った:「法輪功は神のような不思議な功で、ここ数年間、私は薬一口も飲んでないのはいい例じゃないか」。


頑固な淑珍にたいし、私はどうしようもなかった。もし本当なことをいったら、全く薬を飲ませられなくなるから。私は淑珍の家族と密かに相談した結果、昔通りにしよう。いくら言っても聞いてくれないから。


これで「順調に」十年間を過ごした。淑珍は息子嫁桂香の世話で、体には大きな病気はなかった。


2009年春節後、桂香の母親は病気になったため、桂香は実家へ母親の世話に行った。家事は淑珍がやることになったので、薬を入れる作業をやむ得ず義理の父親に頼んだ。


普段キッチンに入らない夫は常に出入りしたりしたから、淑珍は疑問を持った。ある日、夫は薬を入れた時、淑珍に発見されることを心配し、調味料の量を少なく入れた。料理の味から淑珍はなんとなく気付いた。その後、淑珍は夫にチッキン禁止令を下った。そのため、時間通りに薬を飲ませなくなった。


これからの対策を考えたところ、最も心配な状況がおきた。


2009年3月1日朝、淑珍は朝食を食べ終わって、東の部屋に座禅を組みに行った。約一時間後、西の部屋でテレビを見てた息子は東の部屋からドカンとした音に驚かせた。東の部屋に駆け込んだら、淑珍は床に斜めに倒れ、口角から白い泡が出て、意識不明になった。息子はすぐに救急車を呼んで、淑珍を病院へ送ったが、すでに手遅れて医者も救えなかった。


淑珍は高血圧で脳出血で他界した。当時はただ60歳不満だった。

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