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生きている「幽霊」を見た二回の経験で私は真相を知った

2013-03-26 ソース:Kaiwind 作者:李小燕(話し手) 姜洪(聞き手)
李小燕と申します。女性、今年は48歳、漢族、吉林省梨樹県人、いまは梨樹県梨樹鎮にすんでいる。

昔、私はまじめな法輪功弟子だった。1998年3月から修練し始め、2000年の初めのごろに、号令に従い北京に行き、大法を守る活動に参加した。2003年、私は地元における法輪功の協調人となった。友達と一緒に宣伝品を撒き、「三つのこと」をやっていた。私は一筋な人で、師父の法身が守ってくれることを確信していた。私のような修練者は法輪功を離脱することなんてありえないと思われるかもしれないが、二回の経験で私が変わった。

同じ県には白明生という男性がいた。彼と一緒に宣伝品を配ったので、知り合いだ。2005年に入ると、彼は急に姿が消えて、連絡が取れなくなった。

2006年6月、私はほかの修練者と一緒に2000冊の『梨樹の真相』というパンフレットを印刷した。内容は法輪功のウェブサイトからダウンロードしたものだ。パンフレットには「大法の弟子、白明生は迫害され、瀋陽の馬三家に監禁され、のちに蘇家屯で生きているうちに器官が摘出されて死亡した」と書いてある。当時、私は「なるほど、迫害されてなくなったのか。だから、急に消えたんだ」と思った。数日後、上からの指示で、私は吉林省伊通県に行き、現地の法輪功担当者と宣伝物を配ることについて話し合おうとした。そのとき、同じ地域内の担当者は互いに連絡してもいいが、違う地域の担当者とは勝手に連絡してはいけないという内部のルールがあった。

上司が教えた待ち合わせのところに、伊通県のバス駅で現地の担当者を待っていた。しかし、くるのは白明生だった。彼はこの県の法輪功担当者となった。しかし、手元の冊子には、彼はもう器官が摘出されてしんだと書いてあるのだ。法輪功に悪影響をもたらさないように、彼と話し合い、パンフレットを焼いて、作り直すことにした。

帰ったら、すぐ法輪功のサイトと連絡を取り、白明生がまだ生きていると告げようとした。しかし、いヵ月がたっても、訂正しなかった。当時、私はあまり深く考えなかった。師父はこのサイトが大法の窓口だとおっしゃったので、サイトはきっと間違わないと信じていた。

いヵ月後、再び訂正を要請したが、依然応じなかった。1年間のあと、白明生が法律の制裁を受けたから、法輪功のサイトで器官摘出のニュースはやっと削除された。

いま考えてみると、このサイトはぜんぜん訂正する意欲がないではなかろうか。わざとうそをついて世間をだまそうとしているのだ。

二回目に会った「死んだ人」は女性だ。2008年10月、家族に心理治療センター送られた私は劉暁春という修練者とあった。吉林省通化市出身の人だ。法輪功サイトで彼女についての文章が数十本あった。悪い警察が彼女を迫害し、彼女の意志が強かったという内容だった。

一緒に心理の治療を受けているときに、法輪功第一というサイトで彼女が器官を摘出されたというニュースを載せた。このデマを載せているチラシが通化市で撒かれているとき、彼女の娘に読まれた。心配している娘はセンターに来て、母を見舞いに来た。娘はチラシを母に見せ、どの器官がとられたかと聞いた。チラシには私たちがいる治療センターには108種類の刑具があり、器官摘出用の地下室もあると書いてあった。娘は母の体を検査し、手術を受けた痕がないことを確認したら、何でこんなデマを流すのと法輪功を非難した。

一回目の「死んだ人間」とあった経験は私が法輪功を疑わせただけだが、二回目の経験は私に徹底的に失望させた。
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