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妹は法を守る道で死亡(写真付)

2014-01-03 ソース:Kaiwind 作者:任鳳敏

 

妹任金焕

 

任鳳敏といい、今年50歳、十堰市房県城関鎮出身である。房県糧食局関係者楼に住んでいる。結婚するまでに、ずっと親と妹と一緒に、房県化竜堰鎮化竜村2組に生活していた。父親は農事がよくできて、母親は勤労でやさしくて、私と妹に非常に可愛がっていた。妹任金焕は幼いけど、いい子だった。父親を助けて、畑の雑草を抜いたりしていた。四人家族で非常で幸せだった。

1992年、妹任金焕は高校卒業しました。大学試験は合格したが、学費が高すぎることに全家族を困らせた。家族の負担を減るため、ただ20歳の妹は南へ行って、出稼ぎになった。それでお金を貯めて、自分の大学夢を実現させようとした。しばらく、金焕は深せんにあるおもちゃ工場で就職した。仕事に対して真面目なので、工場でチームリーダとして上昇した。一ヶ月の給料で、親にセーター二着を買ってあげた。母親は非常に喜んで、人と会ったたびに、自分はいい娘を育てたと話した。

1998年から、妹の行動はおかしくなった。最初は周に一回家と電話したが、後は数か月をすぎて、電話一通もなかった。母親は最初多分仕事は忙しいだろうと思ったけど、思えば思うほど心配が多くなってきたので、金焕の同じルームに住んだ友達に電話したら、妹が法輪功を練習したことが分かった。当時、私たちは法輪功はなんなのかわからず、ただ妹に、仕事に注意を払ってくださいと勧めただけだ。

若者は新しいことと振り合いたい気持ちがあるだろうが、妹は法輪功にはめ込んだ。最初は「転法輪」を読んだり、座禅を組んだりしただけが、徐々に、「転法輪」を神様扱いしていた。時々電話の中で、我々に:師匠は釈迦の生まれ変われで、高次元を連れてくれる。師匠に従い法を勉強すれば、すぐに上次元になる。上次元になると、神様や仙人になれると言った。彼女は法輪功関係の録音テープと書類を沢山購入した。

1999年7月、村の役員から国が法輪功を取り上げた情報を聞いて、その夜に妹に電話して、法輪功をやめようと勧めた。しかし、妹から邪魔しないでくれと言われた。師匠に助けられ、すでに次元を一つ上進した。円満と近くなったと言われた。

1999年10月26日、妹は我々を内緒に、仕事を止めて、ほかの法輪功練習者と北京に行った。仕事がなくて、貯金も使ったために、実家にやむを得ず戻った。妹は帰っても、毎日師匠と法輪功をばかり考えていて、家族や家庭に無関心だった。彼女は師匠と交流するためと言って、毎日朝九時起きて座禅を組んだ。毎日は「転法輪」を読む以外、写すも何回もした。

どうしても思わなかったことは、妹はいわゆる円満のために、亡くなったことだった。2000年4月20日、妹は28歳の誕生日を過ごしたばかりだった。我々は農事で精一杯の時、妹はこっそりと近くの法輪功練習者と連絡して、北京へ法を守りに行った。4月26日、私はその日を永遠に覚えている。妹は北京に行くバスの中に(豊台区のある道路で)、急に意識がおかしくなり、幻がでて、空を向けて、両手が狂ったみたいに何かを掴もうとした。「法輪大法はよいもの」と叫びながら、バスから飛び降りた。即死だった。死んだ様子は非常に痛ましかった。

妹の死亡情報を聞いて、家族はどうしても信じがたかった。父親は妹の遺骨を入れた箱を抱いて家に入った時、母親は泣きすぎて倒れた。しかし、妹は二度と会えない。こうして、妹は自分の円満の道を歩くため、我々を永遠に去った。当時28歳だった。

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