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この一生涯もう立ち上げられない(写真付き)

2014-09-26 ソース:Kaiwind 作者:口述:何長寿  整理:君正

 

寝たきり状態の何長寿 

何長寿といい、今年74歳、家は河南省獲嘉県太山郷董荘村にある。家の家計は全部農作から来ている。農村人として、農作はそんなに大金持ちになれないが、なかなかの家計は維持できる。支度に心配する必要がなく、子供達も元気に育っている。家族は一緒に生活し、幸せな日々を送っている。 

家族は高血圧の遺伝史があるので、若いごろから高血圧にかかっている。お医者さんの言われたとおりに、長期間薬を飲み続け、よく運動し、飲食も注意を払っているので、血圧はずっとうまく抑えている。ほかの合併症はなかった。 

1997年夏、隣人からの紹介によると、世の中に、非常にいい功がある。その名は法輪功だ。法輪功は不思議なもので、たくさんの人は法輪功を練習している。練習したら、「病気が治るし、体を鍛えられる。」人に真善忍を教え、いい人になる。一定のレベルまで練習すると、極楽世界までいける。隣人は帰る前、「転法輪」を一冊プレゼントをしてくれた。暇なとき読んでみてと言われたので、やってみようかなあと私は思って、法輪功の世界に入った。 

しばらく規律な練習をしたり、気分もリラックスさせたりすると、高血圧はよくなってきたと自分は感じた。そして、法輪功はほんとうに病気を治すんだと思い込んだ。練習の気も満々で、昼間に座禅を組んで練習するではなく、夜も練習するようになった。師匠の画像を壁にはり、供え物を置き、毎日崇拝し、十分溺れてしまった。練習する前、私は農作をする以外、毎日三輪車を乗って、孫を学校まで送迎していた。練習した後、農作をするどころか、孫の送迎もほっといた。これで家族の関係は厳しくなってきた。 

1999年、国は法輪功を取り上げた。私は不満だった。家族と友達からいろいろ助言してくれたが、聞き入れなかった。時々息子は法輪功のことを言いすぎると、私は彼らに親孝行の無い人で、私の円満を邪魔する悪魔だ。早く出て行けと罵った。 

2000年、私は普段飲んでいた降圧剤を止めた。息子たちはそれを発見してから、何回も勧めたが、しかし、私はまったく聞かなかった。私は頑固なので、二人の息子は私をどうしようもなかった。時間の経つと供に、長期間薬を拒絶した結果、高血圧はますますひどくなってきて、よく眩暈や吐き気をしたりした。 

2005年夏のある日、家で座禅を組んだとき、私は急に倒れた。すぐに病院に送られて救命装置をかけられたため、命は助かられた。しかし、意識が戻した私はすぐに点滴を抜いて、一心家へ戻った。家族に、自分の消業に邪魔したと文句を言った。家へ戻った私は法輪功の練習を再度始めた。上の息子何光材は私の様子をみて、怒ってベッドのテーブルにおいた法輪功の書類を全部破いた。当時の私は息子と大喧嘩をした。 

私の体は弱くなり続けた。家族はすごく心配してたが、しょうがなかった。病院へ診てもらおう、薬で治療しよう、もう練習で病気が治ることを信じないでと家族から何回も言われた。しかし、「薬を飲んだら業力が増える。練習だけは業力を消す唯一の方法だ。業力が消えると、根本的に病気が治る」と私の心の中に、そう信じた。 

20074月、私は毎日頭がふらふらし、元気がなかった。よだれもよくもれて、はっきり話せなくなった。視力も落ちた。4月末のある日、いつも通りに座禅を練習するとき、急な眩暈でベッドに倒れた。上の息子に見つけられ、強引に郷のクリニックへ送られた。お医者さんに点滴をしてくれて無事だった。しかし、病状が安定したばかりの私は、家族はいないうちに家へ帰ってしまった。家の中に、私は安心に思った:今回は死神から命を取り戻したのは、やはり師匠が助けてくれた証拠だ。私はもう一つの関の乗り越えて、もう一つの次元を向上できた。 

20103月のある日、家で座禅を組んだとき、急に頭痛に襲われた。吐き気、痙攣、汗は出続けた。死ぬほど辛かった。私は我慢した。心の中に「法輪大法はいいもの、真善忍はいいもの」を歌ったり、師匠、助けてくれと叫んだりした。しばらくしたら耐えられなく床に倒れ、意識不明になった。帰ってきた息子に発見し、すぐに県の人民病院へ送られた。検査の結果、高血圧による急な脳梗塞であることは診断された。病院で全力を尽くして治療をかけたが、下半身は不自由になった。いまでも下半身は知覚がなくて、座るだけでも人からささえてもらう必要がある。 

自分の経験は鉄のような事実だ。業力を消して病気が治ると思ったが、しかし、どこで叶えてくれるのか。この一生涯、私は二度と立ち上げられない。 

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