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父が死亡 母は真犯人か(写真付)

2014-11-20 ソース:Kaiwind.com 作者:李曉麗

李曉麗です。今年28歳、内モンゴル省包頭市固陽県下湿壕鎮に住んでいます。 

201163午後、父と一緒に車を借って、半月間帰ってこない母を探しました。父は運転中、うっとりしたため、急カーブのところで車は道から外れて、勾配にそって底に転びました。当時、私は父の後ろに座っていた。天地が急に逆転したみたいな感じでした。目が覚めたとき、自分は動けなくなり、父は重い車の下に押されました。その日は私にとって、人生最も暗い日でした。父は失血しすぎて命を救えられませんでした。母探しの道で死んでしまいました… 

あの日母探しの道で、父が言った話をいまでも覚えています。父はこう言いました:「曉麗、お母さんはこの教を入信して以来、人は変わった。ほかのことについて一切無関心で、心の中も、目の中も、あの神しかいない。私が怒って彼女を殴ったことはこっちが悪かった。お母さんはかえってくれるかなあ」私は父を慰めました:「お母さんはきっと帰ってくる。この数十年間、お母さんは本気でお父さんに怒ったことは一回もない。」しかし、父は頭を振って言いました:「お母さんは今度こそ本気で決心を付けたようだ。ひょっとしたら、私と離婚するかもしれない。この前、私が神に信仰しなければ、一緒に生活できないといわれた。だから、お母さんを見つけたら、もう教なんか信仰しないでとよく勧誘しないといけない。われわれ一般庶民はこつこつと生活を過ごせば十分だ。」途中、父はずっと母を探す話題をしゃべっていました。 

母は劉秀蘭といい、1958年生まれ、父より3歳年下です。父と母は小さい頃から同じ村で育ってきました、いわゆる幼なじみでした。父と母は一回も喧嘩したこともないです。せいぜい口喧嘩があっても、父はすぐに白旗を揚げるタイプで、母も笑いてしまってすみます。90年代になってから、父は数年間外地へ出稼ぎをし、建築会社の運転手をやったことがあります。母は実家で一人で私、爺、婆の世話をしていました。その後、父は母一人であんまりにも苦労だと思い、村に帰ってきました。父は他人の畑を請負って、母と一緒に温室野菜の栽培を始めました。数年間にちょっと貯金も貯まってました。町で部屋を買ったし、私を県の学校へ転校させました。とにかく別に豊かな家ではなかったが、貧しくもないでした。家の中、冷蔵庫もあれば、テレビもあり、充実で幸せな毎日を送っていました。 

悪夢の始まり  

 

写真はインタネットから  

しかし、天に不測の風雲あり。2009年の冬、父は他人の貨物卸作業をしたとき、転んでしまい、左足は骨折しました。傷の養生をした期間、父は落ち込んでいました。母はほぼすべでの家計を負担した以外、毎晩寝る前、父の怪我をした足にマッサージをしてあげました。母の念入りな世話をうけた父は気分も良くなってきました。そのとき、私は親の間の愛情に深く感動されました。 

父の病気を治療するため、母は周りの村に駆け回り、お医者さんを探していました。そして「お花」というおばさんと知り合いになりました。「お花」は母に「あなたは夫に不利な命を持っている。前世のあなたは旦那さんの貸主だった。そしてこの世、あなたが苦労させられて、前世の借金を返済するためだ。おそらく一生涯を尽くしても返済できないかもしれない」母は小学校レベルの文化しか持っていないため、普段から迷信したほうでした。「お花」の話を聞くと、母は怖くなり、すぐに「どうやって解決できるか」とききました。「お花」は「私に連れて、入信すれば済むことだ。教を信仰したら、神に守られる。家族も幸せになれるし、災いなしに無事にすごせるようになる。」そして、母は「お花」のでたらめを聞き入れ、教に信仰しました。 

最初、われわれは母が入信したことを知らないでした。母は何もいってくれなかったです。表はいつもの通りでした。しかし、2010年元日から春節前後の間、母はよく出かけました。2010年の夏、父の足の怪我は治りました。彼はトレーラーで町へ野菜を送ったとき、元村の住人と出会いました。その人は妻と一緒に入信していました。こうやって父はようやく妻が信教したことが分かりました。何の教かと聞いたら、元村の人は最近新たにはやったキリスト教だと答えました。父はそんなに知識が持っていませんが、世間をよく知りました。キリスト教なら国家の法律に許可された宗教だと分かりましたが、新しくはやったキリスト教なら聞いたこともありません。村の人ははっきり話せなかったため、父は母の信教したことに疑問を持ち、帰ってからよく聞こうと決めました。 

「無事」を守る全能神 

父に尋ねられ、母は全能神教に入信したことを白状しました。当時の私たちは全能神教が邪教であることをしらないでした。ただ母みたいな知識がもっていなく、おとなしい家庭主婦が他人にだまされることを心配し、入信をやめたほうがいいとわれわれは思いました。しかし、母は続けて入信することを決心しました。母はわれわれに全能神を紹介しました。これは「真の神」といい、全能神は「神の国」を創立します。「女キリスト」に従うと、人は無事に生きることができるし、お福も報われます。この「神」に信仰すれば、すべての病気は治るし、すべての災いから逃げられます。2012年の「世界末日」がまもなく来るので、あの時、全能神こそわれわれ家族を守ってくれます。母の話を聞いた私はあんまりにもおかしいと思って、大笑いしました。父は厳しい顔で頭をばかり振っていました。 

母が入信したことを公開されてから、堂々と信徒の「集会」を家で数回も行いました。父と私を一緒に入信しようと母から勧誘されたが、われわれは説得されないでした。しかし、母の行為に対して、固く阻止することもしないでした。この間、私は始めて全能神から母へ配布した資料を触れました。母は文化のレベルが低いにも関わらず、全能神の本を昼間も夜もよく勉強しました。母は「女キリスト」の「霊話」で自分の全部生活を指導してもらうといいました。徐々に、父は母の動きに抵抗が増えました。父は質問しました「労作しないと、なにを食べるのか。お前らはみんな風を食べて生きるのか。」しかし、母はまったく動揺せずに、外へ出かける回数はますます頻繁になり、母らしくなくなりました。 

いつの間にか、母は前みたいに父に対して念入れな世話をしなくなりました。畑での作業もほっときました。家の中はごちゃごちゃになっても、ぜんぜん片付けないでした。ご飯を作る余裕さえなくなりました。父はこれに対し、我慢するしかないでした。これまでに、母は長期間父と家族の世話をしてきたことも大変だと父は母へ思いやりをしました。父は体の調子がよくなくても、農作をやり続けていました。当時の私は結婚したばかりで、義理の母親の家に住んでいました。私はできるだけ、父を協力するために家事をやってあげました。 

2011年の上半期、母は家から離れ、外で「福音を伝え」に出かけました。一度はほぼ一ヶ月間で帰ってきました。父はそれ以上我慢できなくなり、母と大喧嘩をしました。母は父に言いました:私はもう一人を入信させると、福の返しもひとつ多くなる。女キリストはよくわかっている。将来はきっと恩返してくれる。父はでたらめなことをやめて、自分の生活をちゃんと過ごしなさいと母を勧誘しましたが、母はまったく父の忠告をききいれられないでした。逆に、「私は家族のために、福の返しと無事をもとめているのよ。神の守りがなければ、あなたの足は良く治るもんか」と言い返しました。 

実は父の足に後遺症が残っていました。特に雨の日になると、足が痛くなりました。しかし父は普段我慢して何も言わないでした。現在母にそういわれたので、父は一層怒り出しました:「私の足は完全に回復していない。お前は毎日祈っているじゃ、まったく効いていないじゃ!」思わなかったことに、これは母に大きい刺激を与えました。母は自分が「神」にたいし、心は十分敬虔していないと思い、心の中から自分の「忠誠」を表現しようと思っていました。 

2011年、5月のゴールデンウィーク連休のとき、父は温室で栽培した野菜をマーケットで販売しました。わざわざ河北省から新鮮な野菜を運んで現地で販売して行きました。苦労して稼いだお金を銀行に貯金しろうとしたとき、口座にちょうど10000元がなくなったことを発見しました。連休の数日間父が苦労してでも4000元しか稼がないでした。聞くと、母は「忠誠」を表すため、お金を「神」へ「奉仕」しました。父は体を震ったほど怒りました。父は母と大喧嘩し、母にびんたを食らわした。当日、母は自分の「福音を伝える」時の小さいカバンを持って家出をしました。私は事情を聞いた後、すぐに実家に帰って父を慰めました。父は急に老いたと感じ、娘として心は切ないでした。 

こうやって母は家出してから半月間も帰ってこないでした。父はあちこちに尋ね、また元村の人に問い合わせました。その人は言いました:「お花」は昔母を連れて包頭土右旗で「福音を伝えた」ことがありました。今度はひょっとしたらあそこへいったかもしれません。土右旗は家から50キロ離れていますので、父は車を借りて私と一緒に母を探しに行きました。元々は母を迎えるつもりでしたが、父はそのために永遠にこの世から去ることは誰も思いませんでした。 

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