袁友貴最近の写真 袁友貴の父親袁高財の生前写真
袁友貴、四川省宜賓市出身で、今年は54歳である。彼は元々親と妻子と一緒に、幸せな四世代の生活を過ごしていたが、法輪功を練習したせい、妻と父親は2007年と2009年で相次いでなくなった。
袁友貴は1998年10月から法輪功の練習を始めた。あの時、彼は珙県で野菜を売っていた。他人に誘惑され、法輪功を練習すれば、病気のある人は病気が治る、病気のない人は体を鍛える目的を期待していた。いつの間にか、彼は法輪功の経文をすらすらと暗唱できた。時々、夜中も座禅を組んで、法輪功を練習したりしていた。「業力」を消して病気を治し、「高い次元へ行く」とばかりかんがえていた。
1997年7月、国は法律に従い、法輪功を取り締まった。袁友貴は悟るどころか、逆にほかの法輪功練習者と一緒に、「法を広げる」「法を守る」活動に密かに参加していた。
袁友貴はすべての力を法輪功の練習に入れたため、家事と農作業は一切やらなかった。そして、家を養う重任は妻と年配の父親に負担させられざるを得なかった。妻は家事をする以外、豚を飼ったり、クワを栽培したり、カイコを飼ったりしていた。収入がへったため、高齢の父親は肥料を背負って、丘へ行ってそこで耕作していた。
父親袁高財は袁友貴に、まともなことをしなさい。法輪功に迷信してはいけない。自分の責任を持ってくださいと勧めた。妻子と息子と息子の嫁からも国の法律にしたがって、家庭のために、稼いでくださいと勧誘した。しかし、袁友貴はまったく動揺しなかった。息子と息子の嫁は怒って、孫をつれて、地方へ出稼ぎに行った。
2007年お正月、ある日の午前中、ひどいリューマチを持った妻は長期間の過労で急に倒れた。袁友貴の父親はすぐに親戚を呼んで、彼女を病院へ送ろうとしていた。しかし袁友貴からさまざまな手段で止められた。袁友貴は座禅を組んで、妻に功を発し、妻の「業力」を消そうとしていた。「師匠」の法身に守ってもらうことに祈った。三日間後、妻の病状は緩和したどころか、ますます深刻になってきた。四日間の夜、妻は病気が一気に悪化し、呼吸もできなくなり、他界してしまった。
妻が死んだ後、出稼ぎ場所から駆けてきた息子と息子の嫁は袁友貴にひざまずいて願った:「お父さん、法輪功をやめて、うちを助けてください。お爺さんに親孝行をしてください。」
袁友貴はまったく聞き入れなかった。彼は息子と息子の嫁に言った:「お母さんは練習によって円満になったから、天国へ行ったの。」息子と息子の嫁はあんまりにも怒って、再び出稼ぎに行った。家の家事も農作業も、袁友貴のお父さん一人だけやらざるを得なかった。
2009年6月のある日、69歳の袁高財は一人で野菜畑で農作業をしたとき、いきなり倒れた。心のやさしい隣人は彼を家まで運んで、病院へ送ろうとしたが、袁友貴はどうしても同意しなかった。袁友貴は一緒に法輪功を練習した練習者張おばあさんを呼んできて、二人は一緒に父親に「功を発して病気を治療」しようとした。一晩がすぎて、父親の病状はまったく回復する様子はなかった。
翌日の朝、袁高財は呼吸がなくなり、この世界とわかれた。