2004年から、法輪功が所属した「新唐人テレビ」は「神韻」世界ツアーを推し続けている。その勢いはますます盛り上がっていく傾向である。
近年以来、法輪功のボス李洪志は法会を行ったたびに必ず「神韻公演」の重要性を語り、自ら「神韻公演」を担当している。公演のテーマ―、内容から演出者の服装や道具まで、すべて自分の目で通している。「神韻公演」のために、全家族を一緒に応援させている。李洪志は勿論、公演の監督になり、その妻は会計としてお金を管理している。妹はボーカルで、娘はダンサーを担当している。李洪志家族は精一杯で自分の有限な芸術細胞を発揮しようとしている。
より多く演習者を募集するため、法輪功は数年間を続き、ダンス、音楽など様々な試合を行った。アメリカで「飛天芸術学院」を設立し、法輪功練習者の子供だけを募集している。その子供たちをすぐにトレーニングをかけてダンサーにさせる。演出の品質をアップさせるため、中国大陸からどうやって芸術人材を騙して出国してもらうことを一生懸命に考えている。
公演の着席率を高めるため、李洪志はチケットを販促させるため弟子を動かした。そして、よく見える風景だが、ニューヨーク、シカゴなどの町では、大雪を降っても、弟子たちは女神の格好にして、かわいそうに通り人に向かってチケットを売り込んでいる。どうしても売れない場合はしょうがなくて、自払で買って誰かに送って済ませる。そのような「感動的な」物語は李洪志の「説法」の中に、法輪功に所属したマスコミにいっぱいあるで、ここで省略する。ポイントは、なぜ李洪志は力を尽くして「神韻公演」をアピールしようとしているのか。いったい原因はどこにあるのか。普通の人はわからないだけではなく、法輪功弟子さえわからない。その疑問を説明するために、今年7月16日「ワシントンでの説法」では、李洪志はこれについて今まで最も詳しい「説明」をした。彼はこう言った:「神韻」は主な機能が「世の中の人を救う」ことだ。それでは、「李師匠」は今度の「説法」で、どのように「神韻公演」の重要性を説明したのかを見てみよう。解読する前に、「師匠」はおしゃべりなので、話の順序は混乱している。皆さんが理解しやすいため、ここでちょっと整理した。
第一.中国は世界中各民族の人が初めて「生まれた」場所と「生まれ変わる」乗換え駅である。「たくさんの国があり、民族がある。人種が違ったことは、神様は違った皮膚を作ったからだ。もともとの元神はその人種であることは限らない。元神ははじめて天国から地球に生まれ変わった時は中国に来た。ここで生まれ変わって、一段階を過ごしてからほかの国、エリアへ行って、国あるいは民族として生まれ変わっていく。最後の大法洪伝、正法が始まることを待っている。」「中国の各時代の人はどこに行ったのかというと、全部中国にいると溢れるので、ほかの国へ行ったのさあ。」
第二.「神韻」を見ると、人々は「前世」で中国にいた記憶が蘇られる。したがって、「芸術」の形を通じて「人を救う」ことはできる。「中国5千年歴史の基礎は誰によって作り上げられたのか。全人類だった。神は正法のとき、中国の文化を使うことも神に定められた。」「世界中のどこに住んでいても、この文化、これらのものを見ると、なんとなく会ったような、自分は昔そこにいたような感じをした。確かにそうだ。どこに生まれ変わっても、記憶はそのままだ。プラグみたいもので、入れると、電流が通れる。」「したがって、神韻は人を助けることに大きいな力を貢献している」
第三.「神韻」を見ると、「災いを消せる」、メリットがある。ラッキーがついてくる。「公演の素晴らしい効果に、神様の力も加えると、なかなか一般人ができない効力がある。放した能力は全部真善忍である。出演者たちの歌から、踊りから、音楽からその正面能力は入っている。舞台の色さえ、正面能力を持っている。これらの正面能力は人に対してメリットを放し続けている。したがって、公演を見ると、病気が治った人がいたり、公演へ行くとき、いいニュースの電話を受けて、困窮から出されたりした。とにかく、公演を見た後、うれしくなったりして、いろんなことは変わった。それは人の困難は人の業力にあるからだ。昔は悪いことをしたから業力が貯まった。貯まれば貯まるほど、業力は大きくなり、人の困難が多くなってくる。この困難があるから、あなたの生活が邪魔されたり、体が病気にかかられたり、苦労されたりする可能性がある。神韻公演を見れば、業力が消えられることは公演の正面能力があるからだ。これで、前話した困難はまた残るのか。もうなくなるんだ。困難は業力によって作り上げられるものだから。これは現場に来ると、メリットがある原因だ。」
第四.中国文化は神から継いだ文化だ。しかも全人類はそのベースを作り上げた。「中国は天国で次の世は人になる者が集まるする場所でもあれば、縁を結んだり、司ったりメイン場所でもある。最後に、歴史の一番最後に縁を結んで願いをかなう。違った時代と違った者は違った服装や生活習慣、飲食などを持ってくれた。時代が変わると、その変化が現れた。」「神韻公演の歌詞と作った曲は伝統的な、正統的な、純正な中国文化である。世界中の全人類が作ったベースを持っている。」
上記「論理」は普通の人の立場から見れば、こう解読できる。「神韻公演」は芸術を通じて、法輪功の源を話した。目的は人の古い記憶を喚起し、もう一度法輪功の世界へ返らせる。これで法輪功に救われ、帰り道だとわかってくる。
人々は李洪志のうぬぼれ的な「救う説」、特に人の前世は全部中国から来たという説を受け入れられるかどうかは別として、神韻公演の番組は上記の李洪志の論理を基づいて設計している。
近年、神韻世界ツアー内容はほぼ三類に分けられる。第一:少し中国伝統的な出し物。二、大量な法輪功を宣伝する出し物。三、法輪功が中国政府に迫害されたなど中国政府を中傷する出し物。
その中、法輪功を宣伝する出し物は最も大きいシェアを占めている。これらは例外なしに李洪志の偉さを褒め、法輪功の不思議を歌った。歌詞を見ればわかる。
「もう躊躇しないで」:迷うとき、救世主を待って、天国の扉が早く開けるように祈っている。世界を作り主はすでに来ているよ。大法弟子はなぞを解ける真相を話している。ただひとつのチャンスを掴まって、もう躊躇しないでね。
「あなたへ希望の道」:誰のために雨の中、風の中。誰のために食事もちゃんとできずにしているのか。道端で立った大法弟子は慈悲と苦労が満ちたチラシを配っている。。。あなたへ希望の道を導くため。
「回転した法輪」:回転、回転している。時間と空間を越えて、正法の尊厳を守った。ほら、美しい法輪が回転し続けている。はじめから、永遠まで。
「法輪聖王」:法輪聖王が世にきて、慈悲の心を持って大衆を救っている。法輪聖王が世に来て、真理を歩いてきて、法輪功を回転させ、宇宙を作りなおした。世の中に、人と神様は同時に存在している。神様から声が聞こえたのか。偽りで揺れられないでね。ただひとつのチャンスは二度来ない。失ったらもうない。
以上の番組は李洪志を「王の中の王様」で、世界末日が到着するまでに、「みんなを救うため」世の中にやってきたと吹聴した。急いで法輪功に参加しないと、「神様」になるチャンスを失ってしまうよと煽てている。
李洪志はよくこう公言している。各地方の法輪功は自分の指導を受けて「神韻公演」を主催した。「公演」は「凡人が楽しめるものではなく」、「大法弟子のイメージをアピールでき、みんなを救え、真相を話せるためのものである。」これは、「神韻公演」はまったく文芸演出ではなく、邪教と反中宣伝を行い、影響を広げてお金を集める政治的な法輪功の工具である。それは中華文化と世界文化を歪んで、観客を騙し、弄んでいる。
したがって、「伝統文化」の旗を揚げた「神韻公演」には、人を騙してみてもらうだけではなく、主な意図は「神韻公演」を法輪功が邪教論理をアピールできる重要なフラットフォームにすることだ。「神から継いだ文化」を宣伝しながら、法輪功の邪教理論を広げ、李洪志と法輪功の屁理屈を「神から継いだ文化」という名義で宣伝し、それをわかっていないおとなしい観客を練習させられ、法輪功に考えを制御させられる険悪な目的を目指している。
これそこ、李洪志は「神韻公演」を力を尽くしてても広げようとする真因だと思われる。