そして、私は劉雲芳につれて、瑠璃場に行って、書画を入れるためのプラスチック袋を40メートルを買った。それは焼身自殺のガソリンを入れるためだった。時間はまだまだ早いため、我々は町の中にぶらぶらしていた。5時に、我々は地下鉄を乗って、古城に到着した。劉雲芳とマクドナルドで食べた。7時になると、我々は首都鋼鉄会社の入り口で劉秀芹と待ち合わせた。彼女にあるレストランに連れられた。今回は男二人、女一人だった。我々三人を含めて全部6人だった。新しくきた中年の女性は一言もしゃべらなかった。話を聞いた感じ、彼らの悟りは劉秀芹より下だった。しばらくしたら、私は劉秀芹と劉雲芳にやめる合図を示した。出かけた後、劉秀芹は我々を彼女の家で交流してほしいと言った。ほかの練習者と送別したと、私と劉雲芳は劉秀芹を連れて、彼女の自宅に行った。このとき、私と劉雲芳は劉秀芹に北京にくる本当の目的を話した。彼女はびっくりしながら、我々の壮挙に尊敬した。そして自分ができないことに対し、恥ずかしく思った。私の笑いながら話した様子を見て、彼女は理解できなかった。あなたたちの修練はこんなに高いレベルになったとは思わなかったと言った。彼女は私に言葉を表せないほど感服した。我々の行動を成功させるため、自分の最大努力を応援しようと決めた。
私は彼女に、現在住む環境をよくわからないため、住所でガソリンを入れられなく、安全にガソリンをいれるような部屋を借りてほしいと伝えた。彼女はそんな場所はなかなか探せにくいといった。最後、彼女は自分の住宅を我々に使わすことを決めた。彼女の真剣さに対し、我々も感動した。これは劉秀芹のレベルをよく表したと思った。
帰った後、劉雲芳はガソリンの件が解決されていないことに困っていた。何回も私に早く買おうと催促した。私は前もっと購入すると、どこにおいても安全ではないと答えた。彼に焦るな、任せてください。私はずっと運転手をやってきたのでガソリンを買えないわけはない、安心してくださいと慰めた。
この日、劉秀芹はこの件のためわざわざ会社に休暇をもらった。会社の上司は彼女が再び法輪功活動に参加することを心配し、電話二回もかけてきて彼女が何をしているのかと聞かれた。彼女は全部ごまかした。
翌日、2001年1月23日、つまり旧暦の大晦日の日だった。朝から我々7人は早起きをした。顔を洗って歯を磨いたあと朝食をたべた。そしてタクシーをひろって劉秀芹の家へ行った。劉秀芹は我々に会ってガソリンがもれた、非常ににおいをしたと心配そうに言った。仕方なくて私はビニール袋を購入しようと決めた。もれるには時間がかかった。いまガソリンに入れたらすぐにはもれない。しかし、飲み物の空きボトルを利用する意見も出てきた。私はビニールなら、服装のしたにつけられても目立たない。ボトルならばれやすいので、天安門広場に入るとき、疑いを招きやすいと言った。途中、どうやって無事に天安門広場に入れるだろうとずっと考えた。天安門広場に警察や普段着をした警察が多いため、彼らの目は非常に鋭い。急に、私は携帯の玩具を思いついた。それを購入するには、あちこちの商店で探した。最後、古城にある劉秀芹の住所の近くに、玩具携帯を二台購入した。中に時計と算卓もあり、90元にかかった。
劉秀芹のうちに戻るには午後一時だった。ほかの人が待てずに飲み物の空きボトルに変えることを決めた。劉秀芹は下の商店で一箱の飲み物を買ってきた。中身を捨ててからガソリンをいれた。私は家に入るとき、彼らは自分の体にガソリンボトルを縛る途中だった。バックバッグにいれた人もいた。私と劉雲芳はボトルを縄で首から釣って、両脇の下にテープで固定した。外はセーターとコートをきた。ボタンを閉めずにお互いにチェックをした。これで大丈夫だと思った。郝恵君が事前に買ってくれた切れ物二個とライター二個をもった。全員は主動的に余ったお金を出した。約6000元もないだった。その中に1000元をあの若者に渡すようにと劉秀芹に依頼した。あまったお金を北京の「大法」事業に使ってもらうといった。劉秀芹は余ったお金をそれぞれの家まで送金してあげると言ったが、みんな同意しなかった。家に内緒にしていたからだ。
1時ぐらいになった。私はみんなに分けて移動してくだい。そうじゃないと、目標は大きいすぎるといった。距離と交通事情によると、広場まで焼く1時間がかかりそうだった。そしてそれぞれの行動時間を2時半にきめた。
最初の人をすぐに出かけるように要求した。郝恵君、陳果、劉春玲、劉思影は家を降りて、タクシーを乗って先にいった。私は陳果と劉思影の背影をみて、言葉で言い出せない思いをした。天に命をまかせよう。どうせ彼女たちも我々と同じ「偉い」ことをやっている。ただ幼いだけだった。
そして私、劉雲芳、劉葆栄はタクシーを乗って、天安門広場へ出発した。車の中に、私は運転手とおしゃべりをしていた。劉雲芳に話をかけても、返事をくれなかった。非常に緊張していたことがわかった。彼は何を考えているのかわからなかった。しかし、私の心の中に、非常に穏やかだった。車は天安門広場の西側についた。タクシーを人民大会堂の南門まで走ってもらった。劉雲芳、劉葆栄は降りてから、先に天安門広場へ向かった。私は運転手に料金を払った後もゆっくり天安門広場へ出発した。このとき、二人は毛主席記念堂の西門に向かった。劉雲芳は臆病でまず人に混じって記念堂に入ってから天安門広場へ行こうと思ったから。しかし、通せなかった。広場の入り口で当番の軍人が立っていたので、しかたなく広場にはいった。
私は眼鏡をかけて新聞を見るふりをして、広場の西門から広場に入った。時計は2時半を示した。広場にある記念碑の近くに回りながら、先にきた人はどこにいるのか、広場に入っているかどうかを確認した。私は記念碑の西側に劉雲芳、劉葆栄とあった。そして、劉雲芳に先に来た人と会ったのかを聞いた。しかし、劉雲芳の顔は非常に緊張しそうにみえた。私の質問をきいても、私を見ないように、直接きたの方へ行った。このとき、劉雲芳は大丈夫かどうかを考えた。しかし、これは「正法」だ。師匠の「法身」はどこにもあった。我々の動きは師匠が全部わかっていた。他人をともかく、「大法」のために、私は成功しなければならなかった。
私は記念碑の東北側に行ったとき、4人の普段着の警察は並んで私に向かった。彼らの目は直接私に当てた。やらないと間に合わないと思って、手に用意した切れ物でセーターをへてボトルを切れた。切れ物を捨て、左の手にライターを持った。警察は急いでこちらにきた。彼たちは私がライターを持った様子をみて、私の意図がわからずに、同時にぼーとした。
彼らと後10歩の距離で、私はライターをつけた。その瞬間、火は私を囲んだ。火は空気を隔てたため、私はすぐに呼吸しにくいと感じた。両足で座禅を組む時間はなかった。私は足一本を座禅を組んた(法輪功の練習動作)。空気は火に煽てて、こつこつな音が立てた。急な酸素不足で息苦しくなった私は、心の中に、目的はまもなく実現できるとわかった。
そして、警察は何か物を使って私の体に押された(後焼身自殺事件のニュースを見たとき、消防用のブランケットだとわかった)。私を二回押されたが、私は足で警察を二回蹴っとばした。しばらくしたら、誰は消火器で私の体に噴射した。火はすぐに消した。私は非常にがっがりしたので、立って叫んだ:「真、善、忍は宇宙の大法だ、人間が必ず守る法だ。師匠は宇宙の主仏だ」と繰り返して叫んだ。警察たちは車を用意するところ、ほかの人から:「あちらも火がついてる」と叫び声が聞こえた。警察は一人を残し、私を見張るが、ほかの人はすぐにほかの法輪功練習者が焼身自殺の現場に駆けつけた。私は繰り返して叫んでいた。やく10分間後、警察は車を走ってきた。私を車に押し付け、病院に送った。しかし、その病院はこの程度のやけどをした患者を対応できないといい、積水壇病院を推薦した。警察は私を横になるように要求したが、私は断った。自分で車に乗った。そして警察は車を早いスピードで積水壇病院まで走った。
病院に到着してから、私を救命センターのベッドに横になってもらった。このとき、私はまったく苦しいや後悔を感じていなかった。しばらくしたら、陳果はベッドになったままで病院に運ばれた。黙って私のそばにいった。私はおきて彼女の様子を確認したが、普段のイメージは間の前に思い浮かんでいた。心の中の感覚は言葉で言い出せなかった。もうちょっとしたら、劉思影、郝恵君も運ばれた。みんな静かにある部屋に横になった。私はずっと劉春玲、劉雲芳と劉葆栄を見えなかった。心の中に、劉春玲は多分もうだめになった、劉雲芳と劉葆栄が一緒にいて、火をつけていないかもしれないと思った。わけがわからないが、当時はそう思った。後も私の予感を証明した。
しかし、劉雲芳に対する恨んでいなかった。だって「修練」はそれぞれ一人一人のことだし、自分がそこまでやれることに自慢していた。
「1?23」事件の後、法輪功の米国本部の代弁者張尓平は公開声明を発表し、我々の焼身自殺の人は「大法」弟子じゃなく、「大法」を破壊する悪魔だと言った。この情報を聞いた私は堂々とした。師匠からの試練だと思った。本当は現在の平和社会では、もともと幸せな生活を送っている人々は、李洪志の法輪功にだまされていない限り、わざわざ法律を違反し、天安門広場で焼身自殺をしないだろう。
中央テレビ局「焦点訪談」という番組が「1.23事件」についてのシリーズ報道をみた。私は米国法輪功本部は鄭州の法輪功メンバーに、我々を調査するように命令したことがわかった。私はよくわからなかった。李洪志は宇宙の主仏と名乗っているくせに、何でも知るはずだ。その「法身」はどこにでもあるのではないか。どうして他人を指示し、開封で調査してもらう必要があるのか。
李洪志は「大法」を「修練」するとき、けっして道はずれはしないといったのではないか。我々練習者は過激な行動があるとき、彼の「法身」はすぐに注意してくれた。彼の「法身」と「法輪」はみんなを守ると言った。それこそ、彼は法輪功を修練するのは一番安全で、絶対あぶないことはないといった。しかし、証明された全国範囲で1700人あまりは法輪功の「修練」で病院拒否、薬拒否、動脈を切る、川に飛び降り、高所から飛び降りなど自殺、自己傷害と他人を傷害した例はどうやって説明できるのか。
最初、私もそれが本当だとは信じられなかった。きっと政府が捏造したことだと思った。しかし、大量な事実の前で、私は驚いた。客観的な事実の前、私は良心を無視し、おきたことを否定できなかった。過去の私は命まで捨てて追い出したのは本当に正しいだろうか。自分に責任を負うため、過去がおきたすべてを見直さないといけなかった。
(つづく)