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法輪功はカルトである

2014-04-29 ソース:Ameblo.jp 作者:黑旗 云景(编译)

 

 

私は中国共産党の手先ではない。しかし彼らが謂うとおり法輪功はオウムと同様の、幸福の科学と同じくらい性質が悪いカルト宗教だと考える。それはアヘンより酷い、覚せい剤よりも人を人で無くしてしまう性格のものだ。中身を知れば幸福の科学の広告雑誌「リバティ」で彼らが法輪功を擁護するのももっともだと思うようになるだろう。

法輪功は日本語サイトを設けそこに原典類を邦訳し掲載している。法輪功(法輪大法) in Japan 基本となるのは轉法輪(轉は転の旧字体)や法輪功と思われる。ここでは法輪功.pdfを参照していく。これが端的に彼らの態度を示しているように見えるからだ。

実は気功は現代人類が発明したものではなく、先史文化なのです。

彼らは彼らの鍛錬法である気功を先史文化であると言っている。先史文化って何か判りますか?

人の歴史の前にある文化のこと。カルト好きが信仰しているムー大陸とかレムリア大陸とかアトランティス文明とかそういう歴史書に刻まれる前の文明のこと。むしろ人以前の文化だと信じているようである。

ダーウィンの進化論に従えば、人類は猿から進化してきたものなので、文明はたかだか一万年を超えていないはずです。ところが、出土した文物から、ヨーロッパのアルプス山脈の洞窟で、二十五万年前の壁画が見つかりました。その芸術的鑑賞価値の高さは、現代人も及ばないものです。また、ペルー国立大学の博物館にひとつの大きな石があり、その石には、望遠鏡を手にして天体を観察する人が刻まれています。この彫刻は三万年も前のものです。皆さんもご存じのように、ガリレオが一六〇九年に三十倍の天体望遠鏡を発明してから今日まで、せいぜい三百年余りの歴史しかないのに、三万年も前にどうして望遠鏡などありえたのでしょうか?

wikipedia の人類の進化によれば(wikipediaの記事の内容については確認を別途行なう→とりあえず私の課題として残しておく)人類の発祥は25万年前、壁画があっても問題はないし、観賞価値は別問題だろ。どういうものが描かれているかで観賞価値が生じるのではなく、その時代に描かれたということで観賞価値が生じるのだ。価値の捉え方がおかしいよね。

それに望遠鏡って決め付けているけれど、人は見たいものが見えるものだからね、そう考えたいだけなのかもしれないね。ひょっとして望遠鏡はすでに発明されていてガリレオのそれは再発見なのかもしれないし(いやそれはない)。

インドには、鉄の純度が九十九パーセント以上に達している鉄の棒があります。現在の冶金技術をもってしてもこれほど純度の高い鉄を精錬することはできません。

平気で嘘をつく法輪功。純度99.9な鉄は今も作ってます。

ちなみにインドの鉄の棒というのはこれのこと。デリーの鉄柱。純度が高いから錆びないという信仰から上の記事が書かれているようだけれど、むしろ錆びないのは含まれる不純物に原因があったという話だ。

人類はその頃はもしかするとまだ微生物に過ぎなかったのに、どうしてこのようなものを作り出すことができたのでしょうか?

すごい、人はそのころ微生物だったかもしれないんだ。進化論を全然理解していないらしい。

気功は我が国独特のものではなく、外国にもあります。しかし彼らはそれを気功とは言わず、アメリカやイギリスなどの西洋諸国では魔術と呼んでいます。アメリカに、本当は超能力のマスターである魔術師がいて、万里の長城の壁を通り抜けるパフォーマンスを披露しました。

長城を通り抜けたのはデビッド?カッパーフィールド。彼は素晴らしい超能力者だそうだ。あれね、ハンドパワーを標榜する日本の手品師のことを文字通り『超魔術師』だと思い込んじゃったおバカさん達と同じね。

さらに言う。

通り抜ける時、彼は白い布をかぶり、自分を壁にくっつけるようにしてから通り抜けたのです。どうして彼はこんなことをしなければならなかったのでしょうか?こうすれば、魔術に見えるからです。

判ってるよ、見えないところで本当に壁を通り抜けてたんだよって考えてるんでしょ。ニセモノであることを示されてもそれを認識したがらないのはカルト信者の当たり前の行動です。

彼らの思想で危険なのは「因果応報」という思想だ。

「因果応報って普通当たり前のことじゃないの?」なんて思っている人がいるだろうが、そりゃ違うのである。

「人が善いことを行なえば善い結果がその人にもたらされる。人が悪いことを行なえば悪い結果がその人にもたらされる。」という思想だが、現実的には違うよね。実際の世の中は、悪いことをやってもそのままのさばっているし、善いことやっても評価されていないじゃないか。カルト宗教とはそういう現実から目をそむけ前世とか来世に逃げちゃうところだ。

「今の人生で悪いことをやれば次の人生でその報いを受ける、今の人生を善く生きれば次の人生で報われる。」

伝統宗教はこれをやっちゃった、病気や貧困を前世のせいにしてしまったのだ。「癩病」を業病とし前世や先祖の悪行によるもの、あるいは悪霊が原因であるものとし、徹底的に排斥し差別してきた。「癩病」は典型的であるが、他の病気だって構造は同じだ。病気になるのはカルマがあるからなのだ。つまりは病気になる?不幸になるのはその人自身の業が悪いのだ、だからそうじゃない人より下の身分の人なのだ、と差別?見下し?嘲りする。因果応報という思想は差別を肯定する思想なのだ。

そういう歴史的誤謬を反省?後悔して多くの伝統宗教は謝罪し方向転換を行なってきた。

しかし、カルト宗教は反省しないのである。信者を丸め込むのに便利な論理なのでそれを使い続ける。

西洋医が病気を治療する際に用いるのは、化学検査であれレントゲン検査であれ、常人社会の手法ですので、この空間における病の様相しか観察することができず、他の空間の信息を見ることも、発病の原因の所在を見ることもできません。

病気とは一種の「業」であり、それを治療するのは、業を滅する手助けをすることにほかなりません。

法輪功信者は病院へ行かないのである。彼らは彼らの思想が歴史的に人を傷つけてきたということに頬被りし、差別の温床を拡大再生産し続けている。法輪功は罪悪である。このようなカルト宗教は廃絶されて構わない。個人が信仰する自由はあろうが、それを広げる行為は害悪なのだ。

法輪功の隠れ部隊に神韻芸術団というものがある。中国の本当の舞踏を見せるという謳い文句のショーである。彼らのチケット代は非常に高価で収入は全部カルト宗教の運営費に回されるので注意されたし。

http://ameblo.jp/kurohata/page-2.html 

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