現在、李洪志のつくった気功集団「法輪功」が中国で大きな問題となっている。7月22日に法輪功が非合法化されるとともに、全国的な批判運動が展開されている。このキャンペーンは、ここ20年間なかった一大政治運動で、1989年の「六?四風波」とは異なる、重要な意義を持つように思える。
一 気功集団ではなく「カルト集団」と断定
今まで法輪功は気功集団と見なされ、中国文化継承の有益な活動と見られていた。従って、散発的な座り込み抗議など問題を起こしても大目に見られてきた。ところが「四?二五事件」(1万人以上の信徒が中南海を包囲し座り込みデモを挙行)を契機として、当局の対応が大きく変わった。この組織は気功集団の名を借りた「カルト集団」と見なすようになった。
中国「新聞出版署政策法規司」は「李洪志の歪理邪説への批判分析」を発表し、十項目に渡って李洪志の主要言論を紹介しつつ批判を加えている。(「人民日報」99年7月23日)それを見る限り、法輪功は気功集団でもまともな宗教でもなく、カルト集団である、或いは少なくともカルト集団化しつつあったと言える。それはカルト集団の特徴である次の四点から判断できる。
先ず、矛盾の多い粗雑な寄せ集めの知識をもとにしている。「人類は悪に満ち、このままで行けば徹底的破滅に直面する」とか「第三回目の地球ビッグバン」が起ころうとしているなど、カルト集団特有の世界滅亡論の恐怖感を煽る。そして「法輪大法」は最高の科学であり、それを信じれば「粒子、分子から宇宙まですべてを見抜くことが出来る」、また、宇宙は三層からなり、一番上層は「天国」、次は「天人」(有徳の士)、この地球は「常人」(有罪無徳の人)が住み、「宇宙の中の良くない人間が宇宙の中心である地球に堕ちてくる」ゆえ、「地球は宇宙のゴミ捨て場である」、それから「宇宙の特性は眞、善、忍であり」、それはこの世のすべてに宿る、法輪功を修練すれば「天目が開き」、特殊能力が具わり、「石や壁と話し合うことが出来る」と言う。このような支離滅裂な言い様は、正に仏教、儒教、道教、キリスト教、現代カルト、現代科学を一緒くたにした邪説である。
次に、異常に「教祖」への絶対的忠誠をを要求している。李洪志を「教祖」とは言っていないが、実際の行動は彼を神格化しており、教祖的存在となっている。それは94年9月、李洪志が1952年7月7日の生年月日を1951年5月13日に偽造したときから始まる。この日は旧暦の4月8日で、釈迦の誕生した日に当たる。李洪志は仏の転生であると弟子達に思いこませようとしたのである。李洪志が法輪功を広め始めたのは92年5月、略歴を偽造し8才にて「具大神通」(神に通ずる大いなる能力を具える)と書いたのは93年である。こうしてみると、気功集団としての法輪功は僅かに一年で、当初から「教祖」を目指していたということになる。気功は手段であり、カルト教祖になることが目的であったのである。李洪志の言葉に、「国内外に於いて、真に高次元への気功伝授をし得る者は、現在、ただ私あるのみである」「この世ではすべて私の言うことを聞かねばならず、私なくしては成り立たない」などがある。また彼の著作「転法輪」では「すべての字は私の生き写しであり、仏の生き写しである」とも言っている。正に自らを救世主と見なし、自分への崇拝を画策している。
第三に異端的な洗脳型新宗教である。カルト的新宗教の特徴は、宗教哲学とも言うべき哲理が存在しない、もしくは大変乏しく、ただただ信者に盲目的服従を求める。そのためには先ず科学を否定する。法輪功もその例に漏れない。「現在の科学は科学ではなく」、法輪功を「修練する人こそが……最高の科学者」と言う。またすべての他の宗教や気功を否定する。「現在の宗教は人を済度することが出来ず、修練をせず、低レベルのものだ」「法輪大法を広めるには」、以前に学んだものとは「一刀両断」にしなければならないと迫る。このように、一旦「法輪功」の門をくぐると、すべての書物や学説から遮断され、完全にマイルドコントロールされることになる。これはオウム真理教と大変似ているし、欧米のカルト集団とも共通点を持つ。
最後に常理を逸した狂信性が挙げられる。カルト集団は集団自殺や人を殺すことを何とも思わないなど、狂信的であることをその特徴とする。法輪功も全くそのような側面を持つ。「教祖」李洪志の言葉「病気になっても薬を飲まず、法輪功の修練で癒せ」を信じ、命を落とした者が数百人に達する。7月29日、李洪志を指名手配するに当たって、その罪状の一つに、7月28日までに743人を死に至らしめたという一項があるが、そのうちのかなりの人は法輪功を信じ、重病にも関わらず医者にかからなかったためである。また「暗示療法」のような手口にかかって、精神病に陥る者もかなり多く、その事例は新聞紙上に数多く紹介されている。リーダーの指示によって、1万人以上の信徒が即座に中南海を取り囲むというような行動力も、ある種の狂信性によるものと見ることができよう。
以上述べた内容は、中国当局の資料に基づいて「法輪功の本質」を述べたのだが、李洪志自身は「中南海事件とは関係ない」「生年月日は公安局が間違って書いたものを正しただけ」「薬を飲むなとは言っていない」と弁明している。(「亜洲週刊」99年8月2?8日号)普段、多く語られるのは気功による心身の向上や「眞、善、忍」の善行を周囲に及ぼすことであったようである。そのため欺瞞性に富み、当局も長い間余り気に留めず、見逃してきた。それが「四?二五事件」を契機として、法輪功に対する徹底的捜査が行われるようになったのである。
二 「法輪功」非合法化と思想政治闘争の展開
法輪功はわずか7年間で、会員200万人以上を数える一大勢力に発展し、気功を習うだけの者も入れると数千万に達すると言われる。その急速な発展の中で、法輪功のカルト的側面が徐々に顕在化し、有識者から批判の声が上がるようになった。とりわけ98年には、この組織が大きく発展したということもあって、あちこちで批判的意見が出されるようになった。例えば、山東省の「斉魯晩報」は4月1日から8日にかけて、三篇の法輪功批判文章を掲載した。それに対し、法輪功のリーダーは早速この新聞社に赴き、訂正と謝罪を要求した。それが拒否されたため、信徒を動員し、6月1日から3日にかけて約1000人が座り込みデモを行った。また98年8月27日、広東省当局が内部出版物に「法輪功のわが省における活動に注意すべし」を掲載したところ、忽ちにして法輪功に知られ、信徒からの抗議文を受け取ったり、訂正要求の陳情を受けることとなった。その他、中国仏教協会や佛教関係の有識者も、趙朴初会長を初めとして、雑誌「法音」などで「法輪功は仏法でも正式の宗教でもなく、真の気功でもない」と批判した。(「人民日報」99年8月2日)そのため、やはり李洪志や法輪功からの「恐喝」を受けたとのことである。
ここで特記すべきことは、中国科学院何 (He Zuoxiu)院士の法輪功批判である。何院士の院生(研究生)が法輪功をやるようになってから精神病者になってしまい、何院士は大きなショックを受けた。それがきっかけで法輪功の実体に関心を持ち、その危険性を知るようになる。そして98年に北京テレビ局のインタビューに応じて、法輪功批判を行った。その結果、テレビ局は信徒によって座り込み抗議を受けることとなった。何院士は法輪功の嫌がらせにめげず、99年4月19日、天津師範大学の出している雑誌「青少年科技博覧」に「青少年の気功修練には不賛成」と題する一文をよせ、「眞、善、忍はいかさまもの」と法輪功を批判した。4月22日に3000人、23日には6300人の信徒が集まり、大学で座り込みデモをやった。それが4月25日には、1万人以上の信徒による中南海座り込み包囲にまで発展した。これは明らかに組織的行動であり、当局を驚かせた。この時に至ってはじめて、法輪功は一般の気功集団ではないことに気がつき、徹底的捜査と取り締まりの準備に取りかかったのである。それは当然秘密裏に行われ、三ヶ月近くかかった。この間、法輪功による当局への抗議デモは絶えることなく行われ、その数
は307件に及んだ。
7月19日、「共産党員は法輪大法の修練をしてはならない通知」が全国に出され、先ず全共産党員の意思と行動の統一が図られた。同時に、法輪功の主要リーダーの逮捕に踏み切り、日本の報道では70?100人が逮捕された。その上で、7月22日夜、特別番組として、法輪功取り締まりのニュースをテレビとラジオで全国に流した。翌23日、「人民日報」の第一、二、三面は、先の共産党員への通知、「認識を高め、危険を見て取り、政策を掌握し、安定を維持しよう」と題する「人民日報」社説、民政部の「法輪大法研究会取り締まりの決定」、公安部の六項目禁止公告、李洪志の人となりを暴露した記事「李洪志という人間」、法輪功の修練によって受けた被害例など、法輪功関係の記事で埋め尽くされた。こうして全国的な大批判運動が開始され、一週間後の7月29日、李洪志の逮捕状と指名手配が出された。
法輪功は気功集団という名の下に、極めて緩やかな組織であると標榜していたが、実際にはかなり厳密な組織を持っていたようである。李洪志が会長を勤める「北京法輪大法研究会」が総本部、各省、自治区、直轄市には総支部、その下に支部、一級補導拠点、二級補導拠点、末端組織としての修練点があり、全部で六段階に分かれている。ピラミット型のがっちりした組織構成である。それぞれの支部、拠点には宣伝、気功修練、組織、事務など諸グループが設置され、タテとヨコの連絡は連絡員によってなされた。連絡手段としてはインターネット、FAX、電話、携帯電話、手書き伝達、口コミなどあらゆる手段が使われた。また、主要リーダーの間では、「内部簡報」が配布され、情勢分析や当局への対応策が検討された。昨年から頻発した信徒の座り込み抗議デモは、このような厳密な組織を基盤として行われたのである。
中国共産党の支配下のもとで、「合法的」にかくも厳密な組織をつくっていったことは、正に驚嘆に値する。それは同時に、共産党の油断振りを示したものでもあった。そのため、当局の法輪功への取り締まりも徹底している。共産党の組織を総動員して、法輪功会員への説得に乗り出した。それは創価学会の「折伏」を思わせる。河北省では6548の工作グループ3万人余りが派遣され、会員12万人に対して「一人対一人、多数対一人での徹底説得」方式による脱会説得が行われた。その結果、7月30日時点で、95%の会員が脱会し、残った5%足らずには引き続き説得に当たっているとのこと。逮捕と説得、これによって法輪功は壊滅的状態に陥ったと見てよかろう。
中国共産党は権力を握っているため、組織的打撃を与えることは容易だが、問題は法輪功が短期間で急膨張した思想的背景にどう対応するかである。現在、マスメディアを総動員して唯物論と無神論の教育を展開している。李洪志の謬論という恰好の標的を得て、哲学研究者の出番が回ってきたという感じである。改革開放以来、専ら経済建設に力を入れ、イデオロギー論争は休止状態にあった。ブルジョア自由化反対のキャンペーンは数度に渡って展開されたが、哲学論争にまでは発展しなかった。そのため、社会主義精神文明建設は口先だけに終わり、人々の思想は混乱していた。それが法輪功のような邪説に、入り込む隙を与えたのである。現在行っている政治思想教育がどれだけの成果を上げるか注目するに値する。
今回の大々的な反法輪功キャンペーンは、昨年行われた反密輸闘争、今年上半期から行われている三講(政治、正気、学習の重視)運動と結びつけて考えると、中国共産党の伝統的手法である大衆運動が復活しつつあるように思える。毛沢東時代の大衆運動方式が大きな損失をもたらしたため、改革開放以来、大衆運動は敬遠されてきた。しかし、社会の邪気を排し、正気を高揚させるには、大衆運動は効果的な方法の一つである。昨年から今年にかけて好転しだした社会の雰囲気を正しく評価し、今後もこのような方式がとられることが望ましい。但し、それはあくまでも法秩序順守の形で行われるべきで、「人治」による冤罪が起こらないよう細心の注意を払う必要がある。
三 法輪功急膨張の社会的思想背景
現中国社会の思想的混乱が、法輪功に隙を与えたと述べたが、では一体どのような思想的混乱が存在するのだろうか。私は四つの思想又は価値観が錯綜していて、社会の思想的基盤を弱めていると考える。社会には様々な考え方が存在するものであるが、社会全体において、一つの共通した価値観が主流を占めるようになれば、社会の思想的基盤は強固なものとなる。現在の中国は、四つの価値観が一つの価値観に収斂していく過程にあるため、大変複雑な様相を呈し、極めて不安定な状態にある。では、四つの価値観とはどんなものであろうか。
一つは革命的な利他主義価値観である。これは毛沢東によって強く提唱された「全心全意、人民に奉仕する」という言葉に典型的に表されており、党のため、国のため、社会のために個人は犠牲になるという精神である。それは革命的精神に基づく利他主義で、コントやスペンサーの「利己の衝動を利他の衝動に従属させるのがモラル」という利他主義とは異なる。毛沢東を初めとする革命第一世代は、この精神を押し広げることによって、幾多の困難を克服し、中国革命を成功に導いた。解放後もこの精神教育が徹底的に行われ、社会は思想的にはかなり安定した状態を保つことが出来た。しかしそれには、平和時の経済建設期において、社会の現実にそぐわない面が多々あった。個人の創造性が抑制され、社会は硬直化していった。1978年に改革開放政策がとられるようになってからは、この価値観はますます現実離れのものとなった。
二つ目は歴史的伝統の価値観である。皇帝崇拝、宗族意識、義理人情、男尊女卑、地方主義などの封建的思想は、中国2000年の歴史の中で培われ、その根は実に深いものがある。迷信や邪教もこの範疇に属する。法輪功が急膨張した思想的基盤は明らかにこのような価値観にある。解放後、唯物論教育、婚姻法公布、全国統一制度の確立などによって、伝統的価値観はかなり押さえ込まれた。しかし皇帝崇拝の延長線にある個人崇拝は続いた。また改革開放後は「思想の解放」が叫ばれ、思想的規制は緩和されていった。こうした背景の下で、抑制されていた伝統的価値観が一気に噴き出し、中国社会全体に広がっていった。李洪志に対する狂信的崇拝傾向も、過去20年間における伝統的価値観の復活を抜きにしては考えられない。
三つ目は功利主義価値観である。この思想は自由資本主義の全盛時代にイギリスで生まれ、西側世界の物質文明形成の思想的土台となった。中国では清朝末期にこの思想が導入され始めたが、ブルジョア革命が成功しなかったため、社会思想の主流にはならなかった。解放後は、ブルジョア思想としてずっと批判の対象とされ、その存在は小さかった。しかし改革開放政策がとられるようになってからは、個人主義を思想的基盤とする商品経済、市場経済が発展するにつれ、ますますその影響力を強くしていった。そして利己主義、拝金主義、不正腐敗が横行し、功利主義価値観は善良なる市民からの批判を浴び、革命的利他主義価値観と伝統的価値観の両方と衝突するようになった。法輪功への支持は、功利主義価値観への反動でもあったのである。
四つ目は民主社会主義の価値観である。この価値観は個人の利益と社会の利益とを両立させる考えで、個人の利益を犠牲にする革命的利他主義とは異なる。但し、一定の条件の下では、社会の利益を優先させるべきと考えるから、当然、共通点もある。例えば、外国の侵略を受けたときには、個人の生命を犠牲にしてでも国を守らなくてはならない。社会の利益を個人の利益に優先させるという点では社会主義理念である。しかし平和な経済建設の時期においては、共産主義本来の目標「自由の王国」を常に念頭におくべきである。つまり条件の許す限り、国民の自由を拡大し保障するよう努力すべきである。帝国主義国に包囲されているという認識での「階級闘争論」及びそれに基づく「専制的社会主義」の出現は、歴史的プロセスとしての必然性があり、その存在価値を否定すべきではない。しかし今や世界は大きく変わり、21世紀という新しい時代に入ろうとしている。中国社会主義は世界の潮流に合った価値観を構築しなければならない。それは民主社会主義価値観であり、中国の党内外インテリによって支持され、ここ20年着々とその影響力を増してきている。しかし今に至っても、当局によって正式に受け入れられるものとはなっていない。
法輪功による「四?二五事件」は「六?四風波」(天安門事件)以来の重大政治事件と位置づけられているが、その思想的背景から見れば両者は大きく異なる。「四?二五事件」は歴史的伝統的価値観を基盤にしており、大部分のインテリからは支持されていない。それに対し、「六?四風波」は功利主義価値観と民主社会主義価値観の両方を思想的基盤としていた。功利主義価値観は将来性がないが、民主社会主義価値観は今後大きな発展を見ることであろう。
四 今後の展望と在るべき方向
今回の法輪功への厳しい取り締まり及び前述した大衆運動方式の復活は、現在の中国の社会雰囲気を変える上で大変有益なものであり、前向きに評価できる。しかし現在の運動を一時的な表面的成果で終わらせず、より良き社会への改造につなげていくには、過去20年をよく総括し、今後20年の在るべき姿を示さなくてはならない。ここに、幾つかの私見を示してみたい。
先ず今回の事件の性格を事実に基づいて正しく判断すること。現在、法輪功事件は政治問題化し、ますますその度合いを深めている。新しい事実が明るみに出るにつれて、より重大な問題に発展する可能性は十分にある。また李洪志が外国に身を置いていることから見て、外部勢力とのつながりも完全には否定できないだろう。しかし過去の政治運動で犯した誤り「事実の拡大解釈」或いは「闘争の拡大化」は厳に慎まなくてはならない。運動の重点は、法輪功の取り締まりよりも党?政府の健全化及び社会全体の改造に置くべきである。だまされた会員達の話に耳を傾け、共に認識を高めるという姿勢が必要だ。一部の骨幹分子には政治的野心のある者がいようが、会員の多くは純真な人間であろう。日本のオウム真理教の一般信者は、周囲から白い目で見られるために再生できず、またオウムに戻ってしまう。このような事態が中国で起こらないよう注意する必要がある。
次に社会的基盤の強化に力を入れること。現在、経済改革が正念場にさしかかっていて、失業者やレイオフ者が増大している。また市場経済化が進むにつれて、所得格差は拡大している。それが社会不安の要因となり、法輪功の組織拡大に客観的な土壌を提供した。また政治改革が後れているため、不正腐敗現象の改善が余り見られず、政府の威信が低下してきた。これも法輪功には好都合であった。つまるところ、法輪功などいかさま宗教の根を絶つには、経済改革と政治改革を立派にやり遂げ、社会基盤を強化することが最も重要である。もちろんそれは一朝一夕にしてなるものではない。過渡期における脆弱な社会的基盤が今後もかなり長い期間続くことを、覚悟しなくてはならない。
第三に党の立て直しに迅速に取り組むこと。法輪功にかなりの共産党員が参加し、しかもその骨幹として活躍していたようである。李洪志は共産党を利用して法輪功の組織を拡大していったと言っても過言ではない。それだけ党組織が弱体化しているのである。立て直しは思想と組織の両面から行われるべきだが、思想面では民主社会主義理論を創造的に構築し、全党員に過去の革命的利他主義の限界を認識させると同時に、功利主義価値観と伝統的価値観への批判を強化することが肝要である。抽象的な不毛のイデオロギー論争は避けるべきだが、党内での正常なる論争は必要不可欠である。組織面では、党内民主に力を入れ、それを踏まえて集中を図ることである。それには党員の「組織生活」健全化が欠かせない。専制的社会主義の下で、民主集中制の組織原則は集中制に偏り、多くのを弊害をもたらしたが、市場経済という分散化社会で、如何にして党の統一性を保つかは、全党挙げて取り組むべき新しい課題である。
最後に社会主義精神文明建設を真に実行すること。共産党が口すっぱく社会主義精神文明を唱えても、人々は見向きもしない。こういう状態が十数年間続いた。党の指導者が口先だけで、実行を伴わなかったからである。それに対し、李洪志の「眞、善、忍」を社会に広めようという呼びかけは、多くの人の心を動かした。善良な共産党員もそれに共鳴したとしても決して不思議ではない。共産党のお株がなぜ法輪功に奪われたか、真剣に反省すべきである。李洪志の欺瞞性を暴くのは容易だが、共産党の威信を回復することは容易ではない。幸い江沢民、朱容基体制になってからは著しい進歩が見られる。今回の法輪功問題を通して、社会全体に民主社会主義モラルの新風が吹き始めることを期待したい。
今回の法輪功問題に対して、国際社会は割合冷静に見ており、大きな反応は示していない。これは喜ばしいことである。法輪功への取り締まりは、西側諸国とは異なった中国独特のやり方で行われているため、かなり違和感を抱くであろうが、中国の実状を配慮して、引き続き冷静な態度を取ることが望まれる。