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天津の有名な建築、静園と石家邸宅

2009-12-07 ソース:CRI

北京の隣の都市、天津は600年の歴史を持ち、中国北方地域の海辺都市としてその建築様式には独特の特徴があります。19世紀の半ばから天津は西洋の列強諸国と不平等な条約が結ばれて対外通商の窓口となりました。それ以来、建築スタイルが違う西洋風の建物が、雨後の竹の子のように瞬く間に増え、独特の美しい風景となりました。

天津といえば、日本人の皆さんが最初に思い出すのは、天津甘栗でしょう。実は天津は甘栗の生産地ではありません。実際の生産地は天津に近い場所、河北省の遷西などがあります。河北省の甘栗は、天津に運ばれ天津港を経由して日本に輸出されたため、天津甘栗と呼ばれるようになったそうです。もちろん今の時期は天津に行くと、町のあちこちで甘栗が売られています。

天津ではもう一つ有名なものがあります。それは建築です。北京には、伝統的な建築、四合院があり、天津には西洋各国の建築スタイルを取り入れられた建物があります。統計によりますと、天津の西洋風建物は230棟あり、主に天津市内の平和区にあります。これらの建物の中に、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、スペインなどの国の建築スタイルがあり、この一帯は「世界建築博覧会」と呼ばれています。これらの230軒の西洋風建物群中でも一際目立った一棟があります。それは、静園と呼ばれているエキゾチックな外観の邸宅で、清王朝の最後の皇帝、溥儀とその家族が住んでいた屋敷です。

静園は、1921年に建てられ、最初の名前は、乾園です。1925年清王朝の最後の皇帝、溥儀は北京の住まい、紫禁城を離れ、天津にきました。そして1927年、家族と一緒に乾園に引っ越してきました。溥儀は、この屋敷の名前を静園に変えました。屋敷の改名の様子から、時代の変化を見極めて権力を再び握るチャンスを待つ溥儀の心が伺えます。

静園は、面積が3000平方メートル、表の庭と裏庭の2つあります。そのほか、この屋敷の西側には独立した庭や部屋などがあります。この建物について、静園を管理している会社のマネージャの劉静さんは次のように紹介してくれました。

「外見からみれば、静園の建築スタイルは中世期のスペインの風格で、建物の両側は対称的ではない。建物に入れば内部の構造は全部木造であることが分かりました。柱などに畳の模様が刻まれており、これは20世紀初頭の日本ではやっていた装飾の方法だ。この建物の装飾には日本風なものが結構ある。この屋敷の1階はレストラン、会議室、リビングルームと溥儀の2番目の妻の寝室だった。2階は、溥儀が先祖を祭る仏壇、溥儀の書斎と正妻の寝室だった」

新中国ができてから2005年までに、一般市民が静園に住んでいました。2005年、天津市政府は、巨大な資金を拠出して市民をほかのところに引越しさせ、建物を修繕し内部をリフォームして文化財として保護を始めました。静園は歴史的価値をもつ近代的な保護建築物のリストに入りました。昔のような姿を復元する方針で、2006年から静園を修復する工事が始まり、2007年の7月、工事が終わり、静園は一般市民に公開されました。今、静園の表の庭には、アカシアの木、ヤマナラシ、ライラックなどが植えられ、また、小さな池やあずまやなども復元しました。庭の小道は、真ん丸い石で敷設され、庭の東北方向に位置していた台所、車庫とテニスコートなども新たに作られました。すべて静園を20世紀の初頭の姿のままに再現しました。静園には一般公開されてから毎年多くの国内外の観光客がここを訪れています。観光客について、静園のマネージャの劉静さんは、次のように話してくれました。

「これまでにここを訪れた観光客の数は延べ13万人ぐらいだ。外国人観光客には、ブラジル、インド、アメリカ、イギリス、ドイツ、スウェーデンからのお客さんが多い。北京にいる一部の国の大使も時々ここに来て見学する。静園は1921年の当時の様子を忠実に復元した。この建築の細部がしっかりしているのかは人々がこの建物が好きな要因だと思う。日本人の観光客が特に多い、その理由は建物内部の装飾は日本風なので日本人が余計親しみを感じられるのだろう」

静園のほか、天津にはもう一ヵ所、有名な屋敷があります。それは石家邸宅です。この石家邸宅は典型的な中国北方地域の民間建築スタイルの特徴を備え、観光客に親しまれています。

石家邸宅は、天津市西青区の楊柳青鎮にあり、天津市の重要観光スポットとなっています。この邸宅は1875年に竣工し、これまでに120年の歴史があり、面積は6000平方メートルです。

石家邸宅は格調が高く、内装は豪華で、レンガ、木そして石の彫刻はきめ細かで、天津西エリアで一番の邸宅とされています。今、この邸宅は博物館となり、海外に名が知られている楊柳青年画の歴史、天津のレンガ彫刻、天津の民俗などが展示されています。これについて、現地のガイド、李偉さんは次のように紹介してくれました。

「楊柳青のレンガ彫刻は、天津の4大伝統的な技の一つで、この博物館で展示された文化財は、すべて百年以上の歴史がある」

この石家邸宅には、中国北方地域で最大の舞台があります。この舞台は石家邸宅の真ん中にあります。有名な京劇の役者、孫菊仙などはこの舞台に上がったことがあります。

昔、新年になると、みんな縁起のいいものが描かれた絵画を買って翌年が好運に恵まれるように願いを込めて家の壁に貼りました。これは年絵です。楊柳青年画は明の末期から清王朝の初期から史に登場、400年の歴史があり、この楊柳青年画の創作活動は清の中期で栄えました。楊柳青年画は、天津や北京だけではなく全国各地でもてはやされました。楊柳青年画の第六代の継承者である霍慶順さんは、この絵画について次のように語りました。

「楊柳青年画は民間の芸術の一つとして今は世界でも知られるようになった。今は、日本、フランス、スイス、アメリカでも人気があり、専門の収集家がいる。この絵画の内容はほとんどみんなが期待しているゆとり、幸せ、幸運などで、人々に親しまれている」

皆さん、時間があれば是非天津を訪れください。

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