学術シンポジウムの開幕式
「甲午戦争と東アジア歴史的プロセス」をテーマとする甲午戦争120周年記念国際学術シンポジウムが17日、山東省威海市で開催されました。中国大陸、香港と台湾地区および日本、韓国、シンガポールからの150人あまりの学者が、甲午戦争の歴史的背景と因果関係、中日海軍の戦略、中日関係および東アジア構造への影響などに関して討論を行います。
中日甲午戦争は1894年9月17日に中国黄海で勃発し、中国北洋艦隊が全滅し制海権を日本に奪われた結果、翌年の4月17日に日本と不平等な「下関条約」を締結し、中国が敗れました。学者たちは、この戦争が中日両国の勢いの歴史的転回点となり、中国の半封建半植民地化が推進されただけでなく、中華民族の存亡の危機に直面していた一方で、日本が軍国主義へと足を踏み出していったと考えています。
報告をしている中国史学会の張海鵬会長
中国史学会の張海鵬会長は討論会で、「中国人にとって、遼東半島、台湾、澎湖諸島など付属諸島嶼の主権の割与は永遠の痛みであり、このような歴史の記憶が忘れられない。2012年中日国交正常化40周年にあたって、日本は釣魚島の国有化の問題で中日両国の友好関係を悪化させた。釣魚島は日本に甲午戦争を通じて奪われたが、『カイロ宣言』に基づき返還されるはずのものである。120年前の甲午戦争は現在に至っても、中日関係および国際関係に影響を与えている。甲午戦争の歴史を総括し、両国人民を幸福にするために、歴史と現実の角度から反省と検討をすべきであり、中日関係における未来の正常化を探るべきである」と述べました。
討論会に参加する明治大学の伊勢弘志講師(右)
明治大学の伊勢弘志講師は、「日本が侵略国になる大きなきっかけ、これは日清戦争(中国語で甲午戦争という)である。日清戦争以降、日本は『蔑視観』――軽蔑する意識、これをもっていく。戦争に行っているので、兵士たちは何を見ても深刻に悼む印象というのは受けなかっただろうと思うんだ。それは兵士たちの戦場体験ですけど、蔑視観として全体に広がるかというとそうではなくて、学校教育の中で作られた日清戦争のイメージ、これが後々まで大陸とか、朝鮮半島に対する蔑視観の原因になっていく。日清戦争の当時は、兵士たちの蔑視観とその後国内で展開されて行く蔑視観と別々に存在したということだ」と話しました。
このシンポジウムは中国社会科学院と山東省人民政府が共催するもので、19日まで開催される予定です。
シンポジウムに参加する学者たち