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厳冬を飾る生花 タール寺の「酥油花」

2015-03-02 ソース:Chinanews.com

北京から2000キロ以上離れる青海省。省都?西寧市から高速道路でおよそ30分の湟中県はチベット仏教ゲルク派の創始者?ツォンカパ誕生の地です。ツォンカパがこの地に建立した「タール寺」は、635年の歴史がある古刹。800人の僧侶がいます。

 

 

タール寺」はチベット仏教の中心であるだけでなく、僧侶には医学?美術?建築などの技に秀でた芸術僧や職人僧が多く、文化のたいへん栄えている寺院でもあります。中でも、壁画?「酥油花」(バター細工)?「堆繍」(布を貼り合わせて作るアップリケ)は「タール寺の三絶」と呼ばれています。

このうち「酥油花」は厳冬にしか咲かない「花」として、タール寺の最もにぎやかな祝祭日である旧正月の十五夜を飾る主役です。数十人の僧侶が3ヶ月あまりかけて、営々とバターで大きな彫刻作品を作ります。旧暦1月15日の午後、仏教音楽が鳴らされ、読経の声と共に盛大な式典が行われ、陳列の準備が始まります。夜の帳が下りるとようやく作品が披露されますが、陳列はたったの一晩。そのため厳冬にもかかわらず、毎年それを一目見ようと、タール寺には1年で最も多くの参詣客と見物客が殺到します。

バター細工はチベット仏教の寺院に伝わる伝統的な手工芸です。その歴史は千年前の唐代まで遡りますが、タール寺に伝わってきたのは300年前だと言われています。しかし、いま最もレベルが高く、鑑賞価値の高いバター細工はここタール寺に伝わるものだと認められています。2006年タール寺のバター細工は国務院と青海省の無形文化遺産に指定されました。現在、国指定の伝承人2人、省指定の伝承人が5人います。

タール寺の芸術僧で、国指定伝承人のロザンアンシュさんにバター細工の歴史や現在の状況についてお話をうかがいました。

■お釈迦様の夢を受けて誕生した花

 

ロザンアンシュさんは1965年に湟中県のチベット族農家に生まれました。16歳で出家、タール寺でチベット仏教や伝統文化の基礎的な勉強をしたあと、17歳で試験を受けバター細工の師匠に弟子入りして修行を始めました。

バター細工の由来についてロザンアンシュさんは、「ツォンカパ大師の夢に始まった」と話してくれました。

「ラサにいた大師はある晩、お釈迦様の夢を見ました。それを受け祈願の法会を開こうと準備を始めましたが、厳冬のためお釈迦様に供える花がありません。そこでバターで花をこしらえて仏様に供えるというアイディアを思いついたそうです。バター細工を作るお寺は多くありますが、私たちのタール寺は他と作り方もスタイルも異なっています。造形が立体的で色がたいへん鮮やかなところと、ちゃんとした物語を一連の彫刻で表現するところが特色です。外国の方からは、『パリの蝋人形のようですね』と称えられたこともあります」

 

タール寺でバター細工が芸術の頂点に達した理由は色々考えられますが、中でもそのユニークな形による創作と伝承が重要です。

タール寺のバター細工は「上花院」と「下花院」という独立した二班に分かれて、創作されます。それぞれの「花院」には30人弱の職人僧がいます。バターに必要な色を配合して準備する人、建物や花などの背景を作る人、各種必要な登場人物を作る人、中心になる主人公を作る人などなど、修行の年数により役割分担も異なります。

二つの「花院」は互いに離れた場所でその年の創作に取り掛かり、作品は完成するまでに互いに秘密裏に作業が進められます。そして旧正月十五夜の日に初めて同じ舞台に陳列され、一斉に公開されて見物客に批評してもらいます。

 

下花院(13年秋撮影)

■手から手への伝統 厳寒にしか咲かない花

ところでバター細工は、西洋美術と違って作業する時の図面はなく、職人僧は頭の中に図を描きながら創作にとりかかります。すべてが口頭と実際の手作業によって伝承されるので、一人前になって作品を作れるようになるまでには、12、13年も修行しなければならないようです。

そして、何よりも真冬にしか咲かない花であるバター細工は、厳寒との戦いでもあります。

「バターは溶けやすいので、作業する部屋は氷点下15度以下でなければいけません。一方、生活する部屋の中は暖房があって20度前後あります。暖かい飲み物を飲んで体を温めてから、作業部屋に入ります。まず両手を洗い、黄な粉をまぶします。黄な粉は水に溶け、手の温もりを抜くからです。室温にいち早くならすために、氷が浮く水の中に手を浸けなければなりません。手の温度が下がってから、ようやく作業に取り掛かることができるのです」

ロザンアンシュさんによりますと、バター細工は主として親指と人差し指を使い、唯一の道具は木で出来た彫刻刀です。30年余りの彫刻作りにより指は変形し、また冬中深刻なしもやけに悩まされるようです。しかし、バター細工はたいへんやりがいのある仕事だと話しています。

「バターの彫刻は確かにたいへんな作業です。しかし、極寒の中でも、心の中では私はとても暖かく感じています。自分のやっている仕事に誇りを感じているからです。タール寺の僧侶であることの誇りと、内外の参詣客?観光客に自分たちの作品を見ていただけることの誇りです。皆さんの喜ぶ顔を見ると、私たちも嬉しさが心に満ちてきます。何故なら我々は敬虔な仏教徒だからです。バター細工の形で一人でも多くの方にチベットの伝統文化、チベット仏教のユニークな伝統に触れていただけることが何よりの満足なのです」

 

 

■いつまでも咲かせていきたい

「バターの彫刻」は気温が高いとバターが溶けてしまうので、一年の間のもっとも寒いシーズンにしかできません。そのため技術の伝承も毎年、創作活動が始まってから、実際に作品を作りながら師匠から弟子へと伝えていくしかありません。

しかし、良い職人を育成するには、夏場のうちに習得しておかなければならないこともたくさんあります。西洋絵画のスケッチ、古建築の絵を色絵の具で描く練習、人体構造の勉強などなどです。

冬になるまで、基礎知識をしっかり習得することがバター細工を作る上の必要不可欠な準備でもあります。ロザンアンシュさんはそのような準備を怠らず、また毎冬欠かさずバター細工の創作現場で修行を続けて6、7年経ってから、ようやく彫刻の中の建物の創作に携わることができました。一人前になって人物を作れるまでには12、3年もかかるようです。

ロザンアンシュさんはいまの悩みを打ち明けてくれました。

「バターの彫刻はたいへんな仕事ですから、最近の若い僧侶はあまり興味を示してくれません。新人の募集は毎年行われていますが、私と同期で修行を始めた僧侶の中で、今も残って続けている人は半分しかありません。

一方、興味を示してくれた僧侶については、手先が器用かどうか、創作に向いているかどうかなどを見極めることが必要です。

私たちとしては、1人でも多くのこのような人をひきつけるためにこれからも努力していきたいです。なんとしても、この厳冬にしか咲かせない花を長く伝えていくことが私の一番の夢です」

 

 

タール寺三絶の一つに数えられるバター細工は、古いしきたりでは陳列が終われば、翌日にも展示品がすべて取り壊されていました。しかし、最近はその中の一部を空調設備のある室内に移動して常時陳列するようになりました。現在、バター彫刻専用陳列館の建設も進んでいる最中で、今年中にも完工する予定です。

 

 

(上)現在の陳列の様子(下)建設中の新しい陳列館(13年秋撮影)

国や省からの支援金も増えており、バター細工の伝承人に補助金が拠出されると共に、夏でも溶けないバターができないかと大学と連携した研究も行われているようです。

いつの日か季節に限定されずにバター細工が見てもらえ、タール寺への巡礼や参観の手土産としてバター細工を持って帰れるようにする。そうしてもっと多くの人にバター細工の美しさを知ってもらうと同時に、商業的価値が上がってもっと多くの若手僧侶にその伝承に加わってもらえるのではないか。ロザンアンシュさんの闘いはこれからも続きます。 (文&写真:王小燕)

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