トルファン市は新疆ウイグル自治区の首府ウルムチ市から東南に約185キロの距離にあり、高温少雨のため「火州」と呼ばれる。夏の気温は、常に45度ぐらいだ。このような気候は葡萄の生育に極めて適している。
トルファン市から西へ10キロのところに、古代の洪水によってできた河谷がある。長い年月の侵食により、中央に短刀の形をした黄土高台の平面ができた。交河故城の遺跡はその巨大な高台に位置する。
高台は南北に長さ約1650メートル、東西に最も広い場所で幅約300メートルある。周囲は30メートル余りある切り立ったがけに囲まれ、がけの下は水の枯れかかった河床だ。建築物はほぼ高台の東南部に集中し、北西部は埋葬エリアとなっており「陰陽城」の構造を形作っている。
交河城は、紀元前2世紀に、この地に住んでいた車師人によって建てられた。『漢書』西域伝にも、「車師前国、王治交河城、河水分流繞城下、故号交河(車師前国の国王は交河を治めた。河の水が故城を分けていることから交河と呼ばれた)」との記述がある。その最大の建築的特徴は、主体建築区にある寺院?官署?民家が煉瓦を用いず、現地の資源を利用して黄土の台地から少しずつ土を掘り出して造られていることだ。
古代の交河城は楼蘭と同じようにシルクロードの重要都市だった。東西の頻繁な貿易と文化の往来により繁栄し、唐代に最盛期を迎えた。歴史学者の推定では、安西都護府(唐代における西域の最高軍政機関)は最初、この地に設置されたという。しかし、その後は長年の戦乱と自然環境の悪化により、交河城は徐々に衰退した。そして、14世紀前ごろ現地に侵入したモンゴル軍の攻撃によって徹底的に破壊され打ち捨てられたと考えられている。
南門を入ると道の両側に古代民家の遺跡が見える