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中国ロック30年の軌跡(前編)

2016-12-14 ソース:japanese.cri.cn

 

2016年が終わりに向かう中、今年一年を振り返ってみると、北京では異彩を放つイベントがいくつも行われました。今年は中国大陸でロックが誕生して30年目となる節目で、北京、上海、広州などの大都市は相次いでロックのコンサートを行い、中国ロック30年の軌跡を語る音楽会は、中年のロックファンたちに青春の日々を思い起こさせました。中国メロディーでは、今回から3回にわたって中国のロック音楽をご紹介していきます。

中国ロックの誕生

1986年5月9日、中国100人の歌手が参加する国際平和年の記念コンサートが北京労働者競技場で開かれ、当時は無名の若手歌手がボロボロのギターを持って、わざとズボンの片方の裾を巻いたままに舞台に登りました。そして、彼のまるで怒鳴るような歌声はその場にいたすべての観客を驚かせ、最初の数分間、観客たちはあっけにとられてしまいましたが、その後、嵐のような拍手と歓声が競技場の中に響き渡りました。

 

この若手歌手は後に中国ロック界の父と呼ばれる崔健(ツイ?ジェン)で、当時、彼が歌った「俺には何もない(一無所有)」という歌は中国ロックの先駆けであり、この日が中国ロックの誕生日だと言われています。

中国ロックの先駆け

当時、文化大革命が終わり、改革開放時代が始まったばかりの頃、ロック音楽は海外ポップス音楽として中国の大学生の間でひっそりとブームになっていました。ロック音楽は10年間にわたる文化大革命に束縛され、抑えられた中国人の情熱と切望を最大限に解き放ってくれたことから、若者の間で高い人気がありました。北京第二外国語学院の大学生によるロックバンド「千里馬王」はこんな背景の下で誕生し、中国大陸の初のロックバンドとなりました。

 

また、ツイ?ジェンが1989年にリリースしたアルバム「新长征路上的揺滾(新しき長征の路を行く)は中国初のロックアルバムとなりました。これはツイ?ジェンの中国ロック音楽界の父としての地位を築くと同時に、中国ロックの辛く苦しい長征の始まりをも意味していました。

80年代ロックのシンボル

1980年代、ポップス音楽のカセットテープを売る三輪車屋台が中国の都市の至る所にありました。テープレコーダーからは、いつも香港や台湾のポップス音楽が流れていました。これらの音楽のほとんどは、欧米や日本の音楽をカバーしたものでした。そのため、ツイ?ジェンの音楽の登場がこの状況を打ち破ったことに疑いようはなく、音楽のジャンル、オリジナル性という面でも、当時の中国音楽界に大きな衝撃をもたらしました。

 

いま、30年という歳月を振り返ってみると、ツイ?ジェンを初めとする中国大陸のロックの先駆けとなった歌手たちは、強い使命感を持ち、その世代の若者達の道先案内役となって、その時代のロック精神のシンボルだったと言えるでしょう。

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