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実際神は父親と妻の命を奪った(写真付)

2011-12-02 ソース:Kaiwind 作者:冯立忠

冯立忠と申し、山東省錦秋町西闸村の村民である。妻の許君は隣村に住み、三才年下である。1993年、私たちは隣人の紹介を通して知りあい、1995年に結婚した。結婚した後、私はずっと外で商業活動していた。収入はまあまあであった。家で田稼ぎする妻はずっと親孝行し、生活は幸せであった。特に1998年娘冯淑奇の生まれは家族にたくさんの歓楽をもたらしてきた。

もしこのまま生活を送ったら非常に満足だなあと思ったが、予想もできないことは発生した。2002年、隣村の実際神教徒は何回家に来て以来、妻の許君は別人になってしまった。除虫と除草などの田働きをしないで一人きり家で祈願するとかあちらこちらへ行き入教の相手を探すとか変なことばかりした。娘さえおばあさんとおじいさんの所に送り、自分は実際神教のことをするしかなかった。

ある日、4歳の娘は38度の熱もあった。彼女はただ姜糖水を一碗用意し、翌日の朝娘の高熱を顧みずまた布教しに行ってしまった。おばあさんは急いで娘を衛生所に抱えてつれ、注射を受けやっと治ったのである。

妻は私と家族に冷淡しつつある一方、布教に対しては「くそまじめ」とも言える。布教する時、腹が空くとビスケットをちょっと食べ、眠くなるとちょっと一眠りする。一年間には「神」のお守りと天国へのパスポートをもらうために10万も超えた家の貯金を全部実際神教に使ってしまった。

私は何度もやめようと勧めたが、妻はぜんぜん耳を貸せず、仕方なく沈黙していつかきっと後悔すると心の中で思っていた。

2004年、病気をかかった父親はくだらない生活に耐えず、自分の考えを許君に言い出した。しかし、彼女は頑固しぜんぜん受け入れなかった。もっとひどいのは父親を殴った。父親は病気がまだ治っていないし、非常に怒られるし、外出した私の帰りも待たずこの世を去った。

葬式が終えた後、離婚したいと思ったことがあるが娘を母のもとに育てるほうがやっぱりいいからその考えをあきらめた。決心した後、優しく彼女と相談した。結婚したばかりの時の幸せ、家族生活の歓楽、娘の可愛らしさなどいろいろ相談し未来への憧れも言った。相談を通して彼女は回心しそうである。

「私は家族のために努力したのだよ。この間、家族が天国へのパスポートをもらうためにいろいろ苦労した。田働きもずっとしなかったし、10万元の貯金も費やしてしまったの。もともと隣人とよく付き合っていたが、いまみんなに嫌がれていた。どうしたらいいだろう」

私は「田は今年から耕作しては間に合うよ。お金は全部失っても、よく生活を送るとまた儲けるよ。実際神教を断った限り、隣人との関係も改善できるよ。」と勧めた

その間、親戚と私は何度も妻を勧めた。妻はやっと実際神教と関係を断ち切ると決心した。妻は後悔する恐れがあるから、彼女と娘を彼女の自家に送った。自家の守りを得た後、私は商売に外出した。

あっという間に2005年の春節を迎えた。妻との時間を長くするために、妻が教会と断ち切るかどうかを確認するためにも、私は計画より遅く外出した。何日の観察を通して異常を見付けなかった。それに70才以上の母親は家にいるし、田働きもあるし、私は妻の両親と相談して、妻と娘を家に迎えた。

外出したが、ずっと落ち着かなかった。家に帰る頻率も以前より多かった。2005年10月17日、とうとう「妻は自殺した」という消息を聞いた。妻の葬式が終えた後、母親は実際神教の人が家に来、妻をさがすことがあると教えてくれた。そして、実際神教の人は「もし教会から断ち切りたがったら、娘のことを考えよ」と言った。その後、妻はずっとうつうつとして結局自殺してしまった。

2005年10月17日,许君用菜刀自杀身亡现场

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