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招遠殺人事件 「神」化した家庭を再調査

2014-11-05 ソース:南方週末 作者:柴会群 李一帆

イギリス新聞「フィナンシャル?タイムズ」2012年の報道によると、全能神は中国では数百万の信徒をもっていると宣告した 何籽/ 

編集者から山東省で起きた招遠殺人事件は1ヶ月を過ぎた。南方週末の記者は再び河北省無極、山東省招遠と煙台で調査をおこなった。初めて容疑者張立冬の姉婿と接触し、張立冬の妻――この5人家族の中唯一の非全能神信徒――にも接触した。 

われわれはある普通家庭は努力して儲かるから殺人事件を起こした間、「神」化され、徹底的に変わったという軌道を還元してみたい。そして、全能神教の教義および組織は信徒の精神と行動ロジックをどこまで影響するのを観察する。 

われわれは宗教界関係者、専門家を取材した。この家庭のメンバーの特殊な行動パターンを分析し、正統教会の教義と信仰方式と比べながら、宗教の異端が暴力の間のつながりを解読する。   

全能神に入信する前、張立冬は「救済される」ため、キリスト教へ助けを求めたことがある。祈祷中、涙を流した。彼は下の娘を連れて、教会へ3回か5回ぐらい通った。教会を通じて、汶川大地震へ500元を寄付した。 

張帆は北京放送大学で勉強したことがある。全能神教とであったのは、ちょうど「専門学校から卒業した」と「大学に入った」の間の二年間の空白期間であった。彼女の性格はあんまりにも内向で、人との触れ合いは好きではない。笑ったこともない。母親は、張帆には憂鬱があると言ったことがある。 

張立冬の妻王麗はこの家庭のなか、唯一非全能神信徒である。村の人から見れば、彼女は「非常に理性的で、家族を維持することに得意」である。   

異様な兆し 

金暉団地麗水苑12号楼の住人にとって、「5.28」殺人事件は恐怖で鳥肌が立つぐらい怖かった。しかし、事前異常の兆しはすでに現れた:527日、神秘な101室の犬は急死した。 

あれは体が大きく、優しいハスキー犬であった。隣人はたまたま犬を引いて散歩させた飼い主と出会ったりした。時々はキャップを被った「坊主」であったが、多くは彼の上の娘であった。これは変な親子であった。上の娘は笑ったことがないようで、「坊主」はある隣人から「ゾンビ」だと形容された。彼は無表情で、目の動きがにぶく、自分の世界に永遠に生きているようであった。 

この世帯には、だぶだぶしたズボンが好きな男の子とめがねをかけた娘がいた。 

5,6年間も住んでいたが、この家族が外の人と触れ合ったことは一回もないようであったと隣人は気付いた。彼らが住んだ101室はいつもカーテンで閉められていた。家の中は常に人がいたようだが、何をしているのかは誰もわからなかった。 

不安はずっと「坊主」に包まれた。2013年下半期、「坊主」は白いポルシェカイエンを購入した。ナンバープレート(魯YVD110)に、緊急ダイヤルと同じ数字が入れた。恐らく盗まれることを心配し、彼は家の外壁に監視カメラを設置した。監視カメラから1メートルから離れた場所に、ライトコントロールの照明をつけた。夜になると、白くてまぶしい光は向こうの建物に直接当てている。今でも、毎晩点灯している。 

ある日の朝、ハスキー犬は12号楼101号室前の通路に血まみれて倒れた。ひどくびっくりした隣人はすぐに警察に連絡した。調査の結果、犬は飼い主に殴られて殺されたのであった。警察はそれ以上追及しなかった。あの時、これは故意殺人事件の前奏曲だと誰も思わなかった。あの「坊主」は、その後全国で名を知られた張立冬であった。 

事件が起きた後、隣に住んだ人たちは続々とこの家の事情を知った:笑わない女性は張立冬の上の娘張帆である。めがねをかけた小娘は張航といい、張立冬の下の娘である。男のこは張〇といい、今年は12歳である。テレビに出た呂迎春という女性も見たことがあるが、彼女はよくここに来ていた。しかし、101室で泊まらないようであった。彼らは全員全能神教の信徒である。 

全能神教、別称「東方閃電」。90年代から黒竜江省鉄道で働いた趙維山によって創立させた。1995年に、中国政府から「邪教」と判断された。イギリス新聞「フィナンシャル?タイムズ」2012年の報道によると、「東方閃電」は中国では数百人の信徒をもっていると宣告した。それに対し、キリスト教団体は、全能神教の信徒は百万に近いと思われた。 

全能神教はキリスト教の教義を部分的に認めている。しかし、全能神教は、イエスキリストの後、エホバは二度「肉身」をつくり、それをある中国女性に降臨した。この女性は全能の神であり、主な役割は信徒を導いて、悪魔サタンを倒し、人類を救うことである。信徒は神のため自分のすべてを支え、全部の力を入れるべきである。 

新華社の報道によると、張帆は犬を殴り殺しについての解釈は:その夜、呂迎春は体の調子が悪いと感じた。「邪霊」は彼女を襲ったかもしれないと思われた。彼女たちは、「攻撃者」は飼ったペットだと判断し、すぐに犬を殴り殺した。しかし、張立冬の姉婿劉金棟が思い出した内容によると、無極にいたとき、張立冬は非常に犬好きであった。犬を飼ったこともある。 

「南方都市報」は参考人の言い方を引用した:犬を殺した後、張帆と呂迎春の胸は相変わらず痛かった。ほかの人は張帆を持ち上げてから、床へ投げつけた。張帆がめまいと叫んだまで繰り返していた。あの時、彼らは悪魔が追い出されたとおもって、外へ出かけ、悪魔を見つけて殺そうとした。 

翌日の夜、ポルシェカイエンに乗って、六人は羅峰路159号にある金都百貨ビル一階のマクドナルドに来た。まもなく、全国を驚かせた殺人事件は山東の招遠で発生した。 

 

張立冬はキリスト教で救済されるのを求めたことがある。祈祷中涙も出たそうだ。南方週末記者 柴会群/写真 

霊的修行 

警察の調査によると、9年前、張立冬の上の娘張帆は一番先に全能神教とであった。南方週末の記者は張帆の学歴情報を調べたとき発見したことで、彼女が2002年に元北京放送大学英語学部(専門学校部)に入学した。2004年卒業した。2年後、張帆は再び北京放送大学(中国メディア大学という名前に変えた)で勉強し、2008年、放送学部(広告)の本科学歴を取れた。つまり、全能神教とであったとき、張帆はちょうど「専門学校から卒業した」と「大学へ入学する」の間の二年間の空白期間にいた。 

マスコミの報道によると、2007年以来、「東方閃電」(全能神)は目標を大学と高校にするようにしてきた。大学と高校生の信徒を募集することによって、教の活動と組織能力を向上させようとした。 

入信してから二年後、張帆は相次いで張立冬、弟と妹を信徒にした。新華社の報道によると、2008年、インタネットを通じて、張帆は山東省龍口出身の呂迎春と知り合いになった。二人は全能神教の見方は合致したので、徐々に仲がよくなってきた。2009年、張帆と家族は相次いで河北省の無極から山東省の招遠へ引越しした。 

「南方都市報」が引用した招遠キリスト信徒の言い方によると、全能神教は約1996年に招遠に伝播してきた。地元のキリスト教教会の中から信徒を募集してきた。一度「すごく調子に乗った」。 

金暉団地麗水苑(以下は「麗水苑」と省略)以外、張立冬は百キロ以外の煙台市莱山区海天四季花城(以下は「四季花城」と省略)にもうひとつの住所をもっている。そこの部屋は2年前に購入した。主は張立冬の妻と義理の母が住んでいる。張立冬と下の娘、息子とハスキー犬は時々招遠からかえって泊まったりした。上の娘張帆はずっと麗水苑に住んでいる。 

麗水苑は信徒たちの「霊の修行」の場所であった。新華社の報道によると、邪教に入信してから、張氏家族は一般生活程度以外に、外の人とほとんど触れ合わなかった。毎日は家の中に邪教の本を勉強したり、「霊の修行」のノートを取ったり、お互いに邪教の考えを交換したりしていた。 

「霊の修行」は全能神教は信徒に対する基本要求である。全能神教は、信徒が「素直に、静かに、自分の心を神に前において、意識的に協力作業をすべきである。…個人の霊の修行時間を設けるべきである」。「霊の修行」を行うとき、「一切の事情を避けて心を沈ませる。神の前に静かになる。」「一人一人は自分の霊の修行のノートを持つべきである」「神に対する憧れ、神の話についての認識、霊の感覚を記録すべきである。」(全能神教「話は肉体で現す」という本から引用、以下の内容もこの本からである) 

「霊の修行」は信徒にとって非常に重要である。それは「このような修行をすればするほど、聖霊が導いた道を歩ける。神からあなたへの祝福は倍になる。あなたの霊は強くなってくる。」「工夫すればするほど、あなたの心は神に属する」 

事件が起きる前、張立冬の「霊の修行」は一時的に中断していた。彼は四季花城に一ヶ月間ぐらいすんでいた。それはアメリカにいる親戚が帰国したからであった。それは彼が四季花城でもっとも長く住んだ期間であった。 

四季花城の住人張さんという女性はずっと前から張立冬が「おかしい」と感じた。家にいると、張立冬は朝から夜まで自分のジープをいじっていた。真冬も例外はなかった。張立冬は裸足でスリッパをはいて、緊急照明を当てながら、車のそこに横になって弄ったりした。 

張立冬は車に詳しい人である。ある時、張さんの婿は車を発車できなくなった様子をみたら、主動的に婿にやり方を教えた。張さんは、招遠殺人事件が起きた後、婿がそのことを思い出すとびびっていたといった。隣の娘は冗談を言った:「気をつけなさい。彼はあなたを洗脳しようとした」 

「南方都市報」の報道によると、もう一人の隣人は張立冬との間、ちょっと不快があった。一度、張立冬がものを借りにきた。「当時、私はその人が精神異常だと思った。頭がおかしく、怖いかおをしていた。私が彼に借りがあるみたいだった」 

 

夜になると、張立冬の家の外壁につけた照明は点灯する。現在でもそうである。 南方週末記者 柴会群/写真 

身代を築く 

無極県東関村の村民李義成のイメージでは、張立冬は「普通の人じゃない」「すごく頭がいい」「どんな場面でも対応できる」「よく育つと高級幹部になれる」人である 

そのため、彼は張立冬の招遠殺人事件の行動について「非常におかしい」と思った。彼は、テレビで放送された変な発言は、張立冬が責任を避けるためわざと言ったと推測した。 

張立冬、1959年に生まれ、中学校卒、二十歳のとき、山東省青島市に軍隊に参加したことがある。そのときは北海艦隊建築工程兵隊の衛生兵であった。しかし、戦友周軍からの紹介によると、海軍なのに、張立冬は船に登ったこともなければ、海を出たこともなかった。 

心の残念を埋めるためなのか、張立冬は三人の子供に対し、全部海と関連した名前を付けた。そのなか、一番したの息子張〇には彼の立派な志願を託された。 

周軍は張立冬の隣の村に住んでいる。彼の話によると、張立冬はおごりが高いほうである。軍隊に参加したとき、張立冬は脱毛しはじめた。醜いとおもって、彼は思い切って坊主にした。普段はよく帽子をかぶっていた。その後数年間、ずっとこのイメージであった。 

軍隊から復員した後、張立冬は東関に戻った。一時的に紡織工場で働いたが、後は商売をやり始め、自分の身代を築く道を歩き始めた。 

李義成の話によると、兄張冬至が村の支部書記に担当した期間、東関村数箇所工場の切りくずの販売を張立冬は全部引き受けた。工場から運んできたものは、「表はごみで、下は製品だった」。後、張冬至は他人に話したことがある:東関の工場何箇所も立冬につぶされた。 

村の建築金物工場が倒産した後、張立冬はうまく操作して、80万元で買収した。その後、無極を離れる前、彼はその土を転売した。うわさによると、1500万元で売ったそうである。 

90年代の無極は一度全国で有名な医薬卸基地であった。当時県の委員会の企画に従い、東関村は場所を企画し、「東関医薬卸市場」を作った。張立冬は商店を買い、肝油の商売をやっていた。同時に、建築金物工場の古い建屋を医薬商人に、倉庫として借りだした。高額な賃金をもらっていた。後は偽造の薬で医薬市場が強制に取り締まれた。李義成は披露した:警察が来た夜、張立冬は取り締まる行動を止めるため、密かに倉庫の電源を切った。 

医薬市場が取り締まられた後、張立冬は建屋を服装市場に改造した。長さ1メートルの店で一次3000元の年間賃金を徴収した。しかし、2ヶ月もないので、服装市場はだめになった。 

しかし、張立冬の建屋はすぐに新しい用途ができた。そこはねずみ会の集会場所になった。李義成は当時、ねずみ会が盛り上がった様子に印象深かった:はまった人は歌を歌ったり、スローガンを叫んだりしていた。講壇の上の人は:「異郷にいるみなさん、お元気ですか」と挨拶すると、下の人は一緒に「元気です」と一緒に叫んで答えた。 

李義成の話によると、張立冬は「新世紀」という私立学校を運営したことがある。生徒を募集するため、競争学校と揉め事もできた。いつもと同じように、彼は勝った。相手は弁償して済ませた。 

張立冬は村では、同じ年の友達はほとんどいなかった。しかし、彼の周りに、若者がよく集まっていた。そのせい、彼は「やくざ」の背景も持ったうわさが流していた。しかし、張立冬は国とグループの甘い汁を吸っていたが、個人の感情を損ねないほうだと李義成は認めた。村の村民が願いごとがあるとき、彼はいつも助けてあげた。そのため、事件が起きた後でも、東関村に、彼の悪口を言った人は少なかった。 

救済 

張立冬の姉婿劉金棟の紹介によると、2000年前後、合同経営した実油工場の株問題で、張立冬は兄張冬至と決裂した。 

当時、張冬至は工事をやろうとした。張立冬は工場でレンガを積み上げてやめさせようとした。相対峙して誰も譲らなかった。ある晩、張立冬は四人から工場に閉じこまれ、散々殴られた。「傷だらけで、長い間病院で過ごした」と劉金棟が言った。 

殴られた後、張立冬は裁判で訴えようとしたが、親戚に止められた。張立冬は条件を提出した:すべての親戚は兄一家と縁を切る。親戚はしぶしぶと答えた。張冬至はこれで法律の裁決から逃げられた。しかし、劉金棟は、実際に兄貴一家と縁をきるのはできないと認めた。そのため、張立冬はほかの親戚との関係は遠ざけた。 

結局、張立冬は兄を許せなかった。2010年、張冬至はなくなった。姪っ子はわざわざ来て、葬式に来るように誘ったが、張立冬は出席することを拒否した。 

兄と決裂したことは、張立冬にとって、一生涯最大の挫折である。彼は兄からの守りを失い、おごりもうしなった。劉金棟は、殴られた後、張立冬はずっと落ち込んでいた。心の中はどうしても納得できなかった。人にあってもしゃべらなくなったと言った。 

2009年、張立冬は自分の一家を連れて、東関村と分かれ、山東の招遠に引越しした。招遠が所属された煙台市も張立冬の妻、王麗の実家である。引越しする前、張立冬は親戚と挨拶をしていなかった。「当時、ほかのところに行ってもいい。兄弟の仲は悪かったし、彼自身は苦悶したし、山東で養生してもいいじゃないと思った。」と劉金棟が言った。 

劉金棟は現在思い出すと、張立冬が無極から離れたことは「きわめておかしかった」。張立冬の全能神教に入信したことについても理解できなかった。「彼はいい商売していたのに、どうしてそれに参加したのか」 

招遠殺人事件が起きた後、劉金棟が理解できなかったのは、張立冬は家主として、なぜ娘の話に従い、他人を殴ったのか。張帆の行動はもっと彼を驚かせた。関連記事によると、彼女は母親のことを「悪の霊」としてみていた。見たら母親を殺そうとした。   

張立冬が事件に関わったことを聞いた周軍は「ありえない」という本能的な反応であった。張立冬はあんなひとではない。しかし、テレビの中、確かに張立冬が映られ、変な発言もした。「私から見れば、こいつは精神異常だ。」周軍の紹介によると、昔から張立冬の頭がおかしいと感じた。「数人は一緒に話し合ったとき、彼は話した内容を考えずにほかの事を考えていた。」 

長期間に健康問題はずっと張立冬を悩ませている。劉金棟の情報によると、約20年前、張立冬は交通事故にあった。「頭から沢山の血が出た」もう少しで死ぬところであった。その後、彼は「めまい」をするようになった。目を開けば、立つことさえできない。そのために、入院したこともある。それ以外、張立冬は「ベル麻痺」もしている。 

全能神を信仰する前、困った張立冬はキリスト教に救済を求めてみたことがある。 

無極県西関教会の担当者周蘭の紹介によると、2006年の夏、ある水曜日の午後、張立冬は西関教会にきた。そのとき、ちょうど周蘭は祈願をしていた。張立冬は静かに座って聞いた。その後、張立冬は周蘭に、彼女の祈願はよく人の心を感動させた。彼は涙を出たと言った。 

評判がわるかったため、張立冬が教会にいったことはキリスト信徒の間争論を起こした。ある信徒は、もし張立冬も「エホバ」を信じれば、自分はもう信じないと言った。しかし、周蘭は張立冬みたいな人はエホバを信じて反省できることは「貴重」なことで、教会は彼を断ってはいけないと思った。よく説明した後、あの信徒は反対しなくなった。 

張立冬は合計西関教会へ三回か五回か通った。時々下の娘を連れて行った。なぜか知らないが、その後は行かなくなった。洗礼も受けなかった。2007年の春節、周蘭と仲間は張立冬の家へ行って、彼を勧誘したことがある。その後、周蘭は地方へしばらく行った。あれ以来、張立冬とは会わなかった。彼女が聞いた話によると、張立冬はまた教会へ12回ぐらい行った事がある。結局、「救済してくれない」と言い、こなくなった。 

「救済」はキリスト教の専門用語である。キリスト教の信徒にとって、エホバを信じると、必ず「救済」される。しかし、全能神教にとって、エホバを信じて救済されるという言い方は「時代遅れ」である。全能神の最後の世では「罪業を消す」作業を受け取るこそ、本当の「救済」がもらえる。 

張立冬は周蘭にいいイメージを残した。「感覚では、彼は真心をこめた人で、エホバに信じると、いい信徒になりそうだ」 

周蘭は、2008年汶川大地震後、張立冬は教会を通じて500元を寄付したと言った。それは多分彼は最後の正統教会との触れ合いであった。 

「福音」 

上の娘張帆は張立冬のおごりであった。2002年、彼女は北京放送大学に受験した。それは人生の谷にいたお父さんにとって、顔面を挽回したことであった。しかし、劉金棟は昔からこの子の性格はあんまりにも内向で、人との触れ合いは好きではないようであったと言った。母親王麗は無心に張帆は憂鬱があるといったこともある。多分世間体を気にしたせいか、王麗はこれについて詳しく話したくなさそうであった。親戚もよく言い出せなかった。たまに、張帆を心配する角度から、張帆の結婚計画を聞いたりした。王はいつも:もうちょっと待ってとしか言わなかった。 

招遠殺人事件の中、王麗はその家族の中に、唯一巻き込まれていない人である。外から彼女について沢山の好奇心が集まれた。 

事件が起きる前、王麗は張立冬の煙台にある家に住んでいる。隣人から見れば、彼女もおかしい人である。自ら隣人と会話をしない。劉金棟は南方週末の記者に言った:招遠殺人事件が起きてから、王麗はずっと家のなかに閉じこんでいる。だれにでもドアをあいてくれなかった。 

2014626、南方週末の記者は団地の管理人の電話で王麗と連絡できた。記者がその名前を名乗ったとき、王麗は明らかにぼうっとした。家族に何か伝えることがあるかと何か協力ができることがあるかのを聞かれると、王は「要らない」と言って電話を切った。 

周軍と王麗は昔同じ中学校のクラスメートであった。王に対する評価は、「おとなしい」である。彼の話によると張立冬は息子がほしくて堪らなかった。しかし、王麗は相次いで女の子を産んだ。張立冬は彼女と離婚するつもりもあった。 

李義成から見れば、王麗は「非常に理性的、家族をよく維持できる」人である。張立冬は男女関係について評判がよくない。王麗は他人に「どうでもいい。私に優しくしてくれれば十分だ」と言った。 

李義成が聞いた話によると、王麗は一昔から教を信仰している。しかし、彼女が信仰したのは全能神ではなく、「福音」である。 

「福音」というのは、河北無極でははやった地下宗教である。正式な名前は「門徒会」である。女性信徒は祈願したとき、タオルで頭を被るルールがあるから、「かぶり会」とも言われる。1995年、門徒会は全能神と一緒に邪教として判断された。数名キリスト教の信徒は南方週末の記者に、「門徒会」は無極では信徒の数と全能神よりずっと多い。キリスト教徒さえより多いと教えた。 

南方週末の記者は関連資料を調べた結果、全能神と「門徒会」の教義はよく似ている。この二つの教は全部もう一つの邪教「呼喊派」の支部である。 

無極にあるキリスト教徒王碧雲はしばらくの間、「福音」を信じたことがある。彼の紹介によると、「福音」の一つ大きいな特徴は人の心理をよく掴むことである。たとえば、病気にかかった人に対し、「福音」を信じれば、病気が治るという。お金のない人に対し、「福音」を信じれば、金持ちになるという。「福音」を信じれば、子供が有名の大学へ受験できるさえいう人がいる。「福音」に一旦入信すれば、ほかの信徒を募集する任務がやってくる。その任務を完成させると、元々の念願はかなえる。そのため、はまった教徒は、朝から晩までそとで宣教している。家出をしたひともいる。 

李義成は南方週末の記者に言った:彼の母親は死ぬ前、彼に「福音」を信じようと勧誘した人がいた。張立冬の兄張冬至はガンにかかった後、「福音」を信じたこともある。しかし、かれはこれで「救済」されず、まもなく死んでしまった。 

王碧雲は南方週末の記者に言った:「東方閃電」はおもにキリスト信徒から自分の信徒を募集している。「福音」はどんな人でも募集する。しかし、「東方閃電」より力が小さい。 

「門徒会の信徒はキリスト信徒より多い」という言い方について、無極県宗教局局長牛印同は否認した。しかし、具体的な数字を教えるのを断った。招遠殺人事件がおきてから、地元キリスト教会は無教宗教局へ、社会に対し、全能神教を披露し、正統なキリスト教の名声を直せるという希望を提出した。 

招遠殺人事件が起きた後、海天四季花園の住民張さんはずっと張立冬の家のおばあさんを心配している。それは張立冬の義理の母である。張さんからみれば、おばあさんはその家族に唯一「正常の人」だと思った。 

おばあさんは解放前、中学校に通った人で、知識を持ったやさしい人である。事件が起きる一ヶ月前、おばあさんは急に出かけた。行く前、彼女は張さんに、山東臨沂で自分のお姉さんを見に行く。大体8月に帰ってくると言った。 

その後、張さんは隣人の議論を聞いた。おばあさんは婿に怒って行ったそうである。彼女はよく張立冬のことを「みっともない」と文句した。そのために、よく扱わなかった。自分の娘からは「余計なことはほっといて」と勧誘された。おばあさんはこの変な家庭に、徐々に孤立になった。 

張さんの記憶によると、確かに525日であったが、張立冬と彼のジープはなくなった。三日後、張さんはテレビで張立冬を見た。彼は手錠をかかって、カメラに対し、冷静に言った:「法律を恐れない。われわれは神を信じている」 

(李義成、劉金棟、王碧雲、王麗、周蘭は全部仮名である。陳軍吉はこの文章に貢献がある) 

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