『カルマ真仙教事件(上)』(濱嘉之/講談社文庫)
1995年、日本の一文字は「震」──まさに日本の東西に激震が走った1年だった。1月17日早朝、関西の日常を突如、一変させた「兵庫県南部地震(阪神?淡路大震災)」。そして約2か月後の3月20日、今度は朝の通勤客で混み合う東京の地下鉄で、未曽有の無差別テロが起きる。神経ガスのサリンを使った「オウム真理教 地下鉄サリン事件」である。
麻原彰晃死刑因率いる一教団が、国家転覆を目論んだ世界でも例のない組織テロ事件。死者13名、負傷者約6,300名の犠牲者が出るや、非難の矛先は警察へと向かう。なぜ、数々の不穏な前兆(松本サリン事件、数々の失踪?拉致?死亡事件ほか)がありながらも、警察は狂団の暴走を阻止できなかったのか?
その後警察庁は広報誌「焦点」(第269号)誌上で、オウム事件対応の主な反省点として、「(サリン製造など)高度な科学技術についての知識不足/都道府県警察の管轄区域外の(捜査等の)権限についての制限/(カルト教団のような)特殊な閉鎖的犯罪組織についての情報不足」などがあったと認めた。
さて、前置きが長くなったが、『カルマ真仙教事件(上)』(濱嘉之/講談社文庫)は、この歴史的なテロ事件を題材に、カルト狂団と対峙する警察の混迷、苦渋、葛藤、焦燥などの一部始終、そして事件後も残る未解決の謎を、元公安警察官を主人公にして再現させた、ノンフィクション風のクライム?サスペンス小説だ。
主人公の鷹田正一郎は、大卒後、地方公務員として警視庁へ入庁した、いわゆるノンキャリア組。所轄、機動隊、内閣情報調査室を経て公安部へ異動。そしてカルマ真仙教と対峙した後に退庁し、現在は、企業に危機管理アドバイスを行うJPコンサルティングの常務職である。
この主人公のプロフィールはおおむね、著者の濱嘉之氏が実際に歩んだ道であり、実際当時、著者は公安警察官としてオウム事件を担当した。つまり本書は、フィクションながらも、1995年に日本を襲ったいくつもの「震」にかく乱される警察内部のリアルな再現ドラマとして読むことができるのだ。
物語は1995年のカルマ真仙教のテロ事件から20年後、JPコンサルティングの常務職に就く鷹田に、社長令である調査依頼が来るところから始まる。「あるクライアントの管理職者が、テロ犯から五億もの金を預かったままにしている」という。その実態調査に乗り出した鷹田は、かつて公安警察官だった頃に苦渋をなめさせられた、カルマ真仙教の亡霊と再び向き合うことになる。
本書上巻では、この未解決事件の謎を発端に、鷹田の回想シーンが展開する。読みどころは様々にある。警察内部の描写では、公安の捜査や協力者の管理手法、中でも前述の謎のヴェールが覆う「チヨダ」の内部が小説ながらも明かされる。また、キャリアvsノンキャリア、管轄vs管轄外など、実際に警察庁が謝罪した組織上の問題も透けて見えてくる。
優秀な捜査能力を発揮する鷹田主人公にとって、こうした組織構造は思いがけない壁となる。管轄違いという組織上の掟のためだけに、不穏な前兆を極秘裏にキャッチしながらも、動くことができず、市民を危険にさらすことになるからだ。
大震災、テロに加えて、政治不安もあった1995年。その激動を振り返る本書は、果たして前代未聞のカルト教団事件の真相と謎の全貌解明に切り込めるのか? 続く、中巻、下巻への期待がいやがうえにも高まる、著者渾身の大作にして意欲作だ。