編集者の話:張学紅、河北省唐山市豊南区の出身で、1997年3月から法輪功を収斂し始め、数回も法輪功の違法活動に参加し、処罰された。最近、記者は彼女の整髪店をたずね、法輪功に夢中したあげく、また法輪功を捨てた彼女がこれまで辿ってきた道を聞いた。以下は張学紅の口述である。
整髪店での張学紅
1997年、他人の紹介で法輪功を修練し始めた。毎日の朝に、早起きして座禅、修練し、時間通りに集団修練に参加していた。時間がたつにつれ、なかなか言葉に表せない魔性に引き込まれ、法輪功のことばっかり考えていた。
1999年7月、国は法律に沿って法輪功を取り締まった後、私は法輪功を捨てなかった。チャンスがあるごとに、「法輪大法がいい」、「真、善、忍がいい」と人々に話していた。これこそ「法を広める」、「人を救う」ことだ、自分が聖なる仕事をしていると考えた。
私は李洪志の号令に従い、何回もチラシを撒き、バナーをかけた。夜に、30何キロ自転車を漕いで唐山の中心部に行き、チラシを撒いた経験もあった。あの時は怖くないか、もちろん怖かった。夜に、パトカーのサイレン音を聞いたら眠れなくなるほど怖かった。しかし、こういう感じを他人には言わなかった。
法輪功に夢中になった時期に、私は幼い息子の面倒もあまりみなかった。彼は孤児みないな生活を送った。おなかがいつも空いている彼は学校に通わなかった。隣人から何とか食べ物をもらって生きていく彼との絆も弱くなった。一緒にいても、彼の目から読み取れたのは恨みだけだった。
何でそんなに夢中になったの。邪教法輪功の最高の境は義理、人情を捨てることだ。私が今言っている話をレコーダーで録音すべきだ。いつになっても、こう言い切れるよ。
人はみんないつか家に帰る。特に、自力で暮らせなく、同じく修練者の「友達」からみれば価値がない私にとって、最後の居場所はもう忘れかけた家だ。2005年11月、家に帰った私はびっくりした。
長期間住む人がいなかった家中は乱れまくった。息子を世話する人がいないため、居民委員会の助けで、老人ホームでしばらくすむようになった。昔の私は家事上手で、ほかの主婦に負けない自身がある女性だった。このような家を前に、こことが痛む。私の家族は?息子は?昔の家族団らん、親子の間の絆はこれで失ったか。これは法輪功を修練して得た報奨なのか?李洪志からいただく円満なのか?
惨めな現実をみて、私は悔しくてたまらなかった。30代に離婚し、法輪功に付き纏われ、今は40代、もう中年だ。人生でとても美しい時期はこれでむだになった。一番かわいそうな人は息子だ。一番母愛を必要とする時期に、与えなかった。一番家を必要とする時期に、与えなかった。私はほんとうに、情けない母親だ。
いま、私の良知は蘇った。また希望を見出した。こじれたこころもだんだん回復した。
居民委員会の助けで、私は部屋を借り、特長で整髪店を開いた。いまは自力で暮らしている。息子は技術学校から卒業してから、町の政府の助けで仕事を得た。親子の絆もだんだん強まった。私たちは明るい未来をあこがれている。