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法輪功は私の姉を殺した

2012-09-27 ソース:Kaiwind 作者:呉世成

遺書

家族は私にとって、修練の邪魔であった。私は誰も見つからない場所へ「消業」をしに行く。ずっと前から追及していた「次元向上」、「圓満成就」が間もなく達成できる。私は師父の教誨に背かず、師父のもっとも忠実である信者である。

                           李淑梅
                          2009年12月28日

 

2010年旧正月二日、私は姉婿からの電話により、姉が廃棄したレンガを焼くかまどで亡くなったことを知った。この訃報を聞き、外の雪を見て、涙が急に流してしまった。姉は私に対して手ほどきをしてくれる先生であった。幼い時から、いろいろお世話になった。その後、私は大学に入り、農民になる運命を書き直した。しかし、罪悪な法輪功は姉を殺した。優しい姉は、幸せなはずの新年の時に私を永遠に離れた。

私は呉世成と申し、河南省息県曹黄林町ホウ庄村の出身であり、32歳である。町で非政府組織に勤めている。姉は李淑梅と申し、中心小学校の先生であり、1962年5月生まれ、短大卒であった。中心小学校は私の母校であり、三年生の時、姉は私の中国語の担当先生になった。三年生から五年生までの三年間は姉が私と一緒に送ったのである。いたずらである私は三年生になったが、中国式表音ローマ字も読めないほどであった。姉がわざわざ私を連れて家へ帰り、私に補習してくれた。そして、私の書いた作文を真面目に訂正してくれた。姉の助けのもとで、私は凄まじいスピードで進歩し、その後、順調に大学に入った。姉は私の運命を改める人であり、私の恩人であった。

1996年の春、姉は長い間湿っぽい事務室で宿題を訂正し、リューマチにかかった。痛くてたまらず、あちこち医者をみたが、治らなかった。ちょうど定年になった同僚は姉のうちに来、「リューマチは治られない病気で、一番いい治療方法は法輪功を修練することだ。法輪功は健康によく、修練すれば、家族全員も幸せになる。いま多くの人が修練しているよ」と伝えてくれた。姉が疑っているが、あの人は姉を南側の空き地につれた。姉を見かけた法輪功の修練指導者が熱意あふれて、法輪功の長所を次のように紹介し始めた。「法輪功は、体を丈夫させるし、病気も修練で治られる。法輪功は進んでいる宗教だ」。修練している人々は集まって体得したことを交流していた。姉は皆さんのすすめを聞き、『転法輪』という本、テープ、師父の画象を買った。修練指導者は、姉が理解力がすぐれたといい、本をもう一冊送った。感動した姉は本をもらい、家族と親せきに修練を勧めようと言った。

リューマチの病状は気候と一部のかかわりがある。湿っぽい環境では悪化してしまい、乾燥する環境ではある程度で衰える。暖かくなるにつれて、姉の状況はよくなり、法輪功を修練するからだ思い、いっそう法輪功の効果を信じるようになった。毎日の朝と夜、師父の画像のもとで座禅していた。「圓満成就」に達するために、いろいろな法輪功の活動に参加し、仕事にも家族にも無関心になった。周りの人は姉の変化に驚き、学校のリーダーも「日常の生活に戻ろう」と姉に勧めたが、姉は全然耳を貸さなかった。姉は、他人の邪魔に直面して動揺しないのが師父に対するもっとも尊敬することで、法輪功にたいする最高の忠実だと思いこんだ。なんどもの努力が失敗した後、学校の方は仕方なく退職休養の手続きをしてあげた。

1999年、国家は法輪功を取り締まった。姉は納得できず、当地修練指導者のもとで、多くの修練者と一緒に北京へ抗議に行った。その期間、姉婿、姉の息子と私は修練を放棄しようと何度も勧めたが、姉は叱りで返した。特に私を「幼い時からあんたにいろいろ世話したが、今、私の話を聞かず、法輪功を修練しない上に、私も修練させないっで、恩知らずの行為だ。」と叱った。

法輪功に夢中し、生活が混乱したため、姉の病状がますます悪化してしまった。強いて病院に送り診査を受けると、リューマチだけではなく、糖尿病、脂質異常症、脳動脈虚血などの病気にもかかった。特に、糖尿病で毎周一回インシュリンを注射しなければならなかった。毎回の注射も姉の反抗と抗議に終わった。姉は「師父の守りがあるから、注射なんでいらない。まじめに修練さえすれば、どんな病気でも治られる」と確信していた。

2009年師走、新年に近づき、姉は行方不明になった。姉婿は家族と一緒にあちこち探した。ほかの修練者の家も行ったが、全然見つからなかった。2010年旧正月二日、姉の近隣が急に便意を催すため、廃棄したレンガを焼くかまどに入ろうとしたが、その一瞬間、「あ」と叫んで、急いで出た。彼は座禅したまま、永遠に目覚めることができなくなった姉を見たのであった。姉の隣に遺書が残されていた。「家族は私にとって、修練の邪魔であった。私は誰も見つからない場所へ「消業」をしに行く。ずっと前から追及していた『次元向上』、『圓満成就』が間もなく達成できる。私は師父の教誨に背かず、師父のもっとも忠実である信者である。」と書かれてあった。

旧正月四日、姉は葬られた。姉の墓の前に村を望む私は、幼い時のことを思い浮かべると、涙がぼろぼろこぼしてしまった。

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