私は高金生と申し、遼寧省遼陽市太子区東京陵郷の出身である。姉高金玲は1958年生まれ、小学卒であり、私と一緒に村に住んでいた。姉婿は繊維工場の労働者であり、温厚篤実な人であった。夫婦二人は、一人の娘を育てていた。しかし、8年前に、姉が温厚篤実な夫とまだ学生である娘を残し、この世を去った。
姉 高金玲
1997年5月ごろ、同村の修練者は、姉に法輪功の「良さ」を説いた。最初、姉が修練に加えるつもりがなかったが、何回も勧められ、「次元向上」、「圓満成就」のことを信じるようになった。法輪功の教義は、磁石のように彼女をひきつけた。彼女はすべての時間を投じて「法」を学び、『転法輪』に夢中してしまった。例えば、姉は、座禅の姿勢を練習するためにわざわざ石を取り自分のひざ上に置いたことがある。「身をもって真善忍を実践し、『いい人』になったら、佛になれる」という理論を信じ込み、李洪志がいつかきっと自分を「法輪世界」につれてあがることを確信していた。
法輪功を修練してから、姉は、家事の代わりに家で李洪志の本を読むとか、テープを聴くとか、出かけて修練するばかりするようになった。以前、中学二年生の娘の学業に関心を持っていたが、その時からぜんぜん興味を持たなくなった。
姉は、家族の世話をしないだけではなく、兄弟姉妹の親情をも捨てた。私の子が病気で入院し、姉から100元を借りたかったが、彼女は、仏頂面な顔で答えた。結局、姉婿は200元を私に渡してくれた。姉の様子を見、姉婿は、姉に修練を止めさせようと何回も勧めたが、姉はぜんぜん耳を貸しなかった。
1999年7月、法輪功は政府部門に取り締まられた。真相を知った大多数の修練者は、法輪功を離脱したが、姉は、法輪功の「沼」に陥り、修練し続けていた。「生死を忘れて」、「正法、護法」の誘いを受け、姉は村でビラを貼ったり、スローガンを塗ったり、外地へビラをまき、横幅をかけることもした。当時の姉の頭には、「圓満成就」のことずくめであり、すでにものにつかれたように法輪功に夢中していた。
2001年5月、村のボランティアが姉を救うために、辛抱強く説得してあげた。残念なのは、姉が他人の勧めを聞かないばかりではなく、自分が師父の試練に耐えたと思い、法輪功を修練し続けた。同年8月、姉が、行方不明になり、二年間の間に消息がなかったのである。
2003年8月、姉は、公園の中に出現した。観光者にビラをまいた時突然倒れ、第三人民病院に送られ、白血病晩期だと診断された。娘は、泣きながら彼女に治療を受けるように勧めたのに、姉は注射をうけることも薬を飲むことも拒んだ。仕方なく、われわれは「消業」している姉を家に迎えてきた。
家に帰った姉は、ずっと口をつぐんでなにも言わないままに座禅していた。病状がますます悪化してしまった彼女は2003年12月に45歳の年でこの世を去った。