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李招弟:私の家庭惨劇(写真付き)

2012-11-07 作者:李招弟(口述) 郭超(記録)

 

李招弟の写真

母は劉春花と申します。1951年3月生まれ、河北省阜平県下荘郷羊道村の出身です。母は小さな山村で生まれ育ち、結婚してから四人の娘を産んだ。当時、暮らしが貧しいので、二人の妹が幼い時になくなった。私と姉だけ生き残った。

男の子を大切にするとい旧思想を持っている母は家族のためにずっと「跡継ぎできる」息子を生みたかった。しかし、四人目の妹を産んでから、母は再び妊娠できなかった。両親はいろんなお医者さんの審査を受けたり、いろんな漢方薬を飲んだり、たくさんの名医をたずねたりしていた。しかし、やはり息子を産めなかった。これは夫婦間の残念なこととなり、喧嘩の種ともなった。何回もこのことで喧嘩した。

1997年2月、隣人の張月琴の勧誘で、母は法輪功を修練し始めた。暮らしがつらいので、母は精神上の頼りを見つけた。彼女はだんだん法輪功に夢中した。二年目、48歳の母は再び妊娠し、順調に弟を産んだ。父はこんな年に息子に恵まれ、うれしかった。隣人たちは二人の願いが叶うことを祝ってくれた。しかし、母はこれが法輪功を修練したからだと思った。息子が恵まれたのは師父のおかげだ。彼女は人と会うたびに、師父に従って修練すれば、何でも解決でき、息子の未来もきっと明るいと語った。

ずっとつらい体力労働をして、子供を次から次へと生み、回復する余裕がなかった母は体がそんなに元気ではない。こんな年にこどもを生み、体がもっと弱くなった。弟を産んでから、彼女は伝統的な産後慣習を守らなく、よく飲まずに食べずに、一人が部屋にこもり、師父の画像の前で拝み、感謝の気持ちを表そうとしていた。病気にかかっても、家族の勧めを聞かなく、お医者さんの診療をうけなく、毎日経文ばかり暗誦し、前と比べて、性格がまったく変わった。

1999年7月、国は法輪功を取り締まった。村の中の修練者はだんだん修練をやめた。家族は母の心身が日ごとに衰えていく様子を見て、みなやめたほうがいいと説得しようとした。隣人たちもよくこう勧めた。しかし、彼女は一向に聞き入れなかった。「修練しなければ、師父の守りがなければ、こんな年に息子にめぐまれるなんてないでしょう」としょっちゅう言っていた。息子を産んだため、父親もよけいな話をあまりしなかった。

母がいっそう固執となり、修練するばかりしていた。弟の面倒も見なく、家事もしなくなった。おなかがすいたかわいそうな弟が尿でぬれた地面で這き、服が汚くなっても、母は何の反応も示さなかった。

2002年3月、母は長い間室内に引きこもり、運動をしなかった。そればかりではなく、病気にかかってもお医者さんの診療を受けなく、産後の病気も全快していなかった。関節がかたくなり、失禁することもしばしばあった。だから、家族は修練を続けることに猛反対した。彼女は聞き入れなかったばかりでなく、怒った。「修練が進展しなかったのは、家族に誠意がないからだ」と文句を言った。師父への無礼な言動をやめ、みんな一緒に修練し、「真、善、忍がよい」、「法輪大法がよい」と繰り返して暗誦すると、福報が得られるとみんなに求めた。

母は勧めを聞かなく、治療を受けなくても病気が直ると信じたため、症状が悪化した。

2005年、硬くなった関節が化膿し、足も手も不自由となり、自力で歩くさえできなくなった。食事も家族の世話に頼らなければならない。無理やりに入院させたら、もう一般の関節病ではなく、慢性関節リウマチによる心筋、心弁膜合併症まで進展したのだ。治療のいい時期を見逃したため、薬による保守療法や運動を通じ、改善を図るしかできなかった。お医者さんの診断を聞いた母は信じなく、お医者さんの話がうそで、いま師父が業を消してくれていて、円満になる前の試練だと話した。

母は病院で絶食し、治療に抗争した。私たちは彼女を家に帰らせるよりしかたがなかった。母は薬を飲むどころか、すべての薬を便器にすてた。ただ修練を通じて、病気を治そうとした。彼女はよくオンドルで横になり、動きもしないままで、夜遅くまでおき、一人話をしていた。

2007年4月22日の朝、母は突然「私は円満になる、師父は迎えてくれる」と話し、これから一切話をしなく、三日間に水さえ飲まなかった。手が詰めた家族は彼女を県病院に送り、点滴を受けさせたが、激しい抗争に遭った。

お医者さんは母を見て、「体があまりにも弱く、治療も積極的に受けていない。心、肺も衰弱した。もう手遅れだ。」といった。私たちは法輪功のせいで、やせた母が命を失うことをこの目で見た。4日目、4月26日午前2時、母はこの世を去った。死ぬまで悟らなかった。

悲劇はまだ終わっていない。母がなくなってから、みんな悲しくて、暮らしも乱れた。6月8日、母の死で精神ショックを受けた9歳の弟は通学の路上で車にぶつかられ、病院に運ばれてからなくなった。父はあまりにも悲しくて、病気にかかった。今になっても、心が元に戻れていない。

もともと幸せだった家族はこれで崩壊した。

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