妻の郭燕の写真
楊軍と申し、1966年生まれ、山東省済南市錦秀住宅団地6号に住んでいた。妻は郭燕と申し、私のクラスメートであった。そして、私と同じ誕生日であり、結婚してから幸せな生活を送っていた。
1994年、法輪功を修練するブームを迎えた。会社で工会関係の仕事を担当する郭燕は皆さんの休憩時間を豊かにさせるため、法輪功を宣伝し始めた。その後自然に法輪功修練の幹事になった。しかし、彼女が修練してから、われわれの生活は悲劇に陥った。
郭燕はまじめな人であり、熱心に法輪功の修練を召集し、修練場所を探したり交流会を開いたり、レコートを買ったり書籍を買ったり、毎日も忙しくてたまらなかった。
1995年9月のある晩、私は家で翌日の授業のために読書していたが、雨が降ったので郭燕は功友をつれ家へ来た。修練者は集まるほど多くなり、リビングルームがだんだん集まらなくなり私の書斎も占用された。家はすぐ騒っできた。水を飲む人も手洗いへ行く人も入ったり出たりして、話し声と歩き音と音楽が混ぜ、仕方なく私は自分の家から出てしまった。
悪夢はその時から始まった。時間がある限り、功友たちはきっと家へ来て法輪功の修練をする。5年間の間、ずっと落ち着かなかった。
1991年に郭燕と結婚したのである。夫婦仲はよかった。しかし、彼女が修練した後、12年間をわたって無性婚姻を続いていた。何回離婚しようと思ったが、娘を可愛がるのでその考えを止めた。
結婚する時とても貧乏であったが私は金を借り指輪を買った。郭燕は泣き出そうほど感動した。指輪は私たちの心を表し、私たちの愛情を象徴するといった。指輪を重んじていた。
2004年の秋、指輪がなくなったことを発見し、妻の郭燕に聞いた。しかし、郭燕は「売った」と冷淡に言い返した。私は驚くてたまらず理由を問い詰めたが、理由は法輪功の資料をコピーするために複写機を買うつもりだ。600元たらなかったという。この事を聞き、私は何も言えなくなってしまい、600元のために命とおなじように重要なものを売る何でほんとうに納得にできなかった。しかし、郭燕は「金はとにかく、一番重要なのは大法だ」と主張した。
娘の晶晶は1992年に生まれたのである。可愛くていい子であり、すごく愛されていた。中学校に入ってから、授業が難しくなり宿題も多くなった。「学業のために他人を家へ連れないで」と晶晶は何度も母に頼んだが、郭燕はぜんぜん耳を貸せず、依然として功友を家に連れる。
2005年9月17日夜、翌日は中秋節であった。郭燕は書斎で三人の功友と話し合っていた。大騒ぎのせいで晶晶は何回勧めた。しかし、ぜんぜん効果はなかった。その上、ある功友は「私たちの功友は捕まえられた。今救えのことについて検討している」といった。「だってちょっとうるさい」「大法は一番?ここで大法を修練するのはあんたの家の福だ。もし邪魔をしたらあんたを悪魔とみなす」功友たちはずっと大騒ぎして口喧嘩までもした。仕方なく晶晶はドアを開け、彼たちに外へ出て行ってもらった。三人は家から出た。郭燕は怒り、「あんたは悪魔だ。あんた、悪魔、悪魔」と怒鳴った。その声を聞き、私は急いできて、郭燕が娘の首を締めていることを見た。晶晶は顔色が真っ白で、もう人事不省になってしまった。私は急いで娘を抱いて病院へ送った。晶晶は救った。この事を思い、私は悲しくてたまらなかった。虎も子供を食わず、母親としての郭燕は法輪功のために娘を殺そうとした。
幸いのはボランティアの助けのもとで、郭燕は法輪功の正体をはっきり見分け、新しい人生を迎えた。私たちは幸せな生活に戻った。