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趙秀霞:私の息子を殺す犯人は全能神です

2014-06-06 ソース:Kaiwind 作者:趙秀霞

前書:筆者は反邪教ボランティアとして、最近資料を調べて、ちょうど一人の農村女性に出会って、彼女の息子は全能神に殺された事件で、案件の進展状況を聞いて来ました、そこで、筆者は彼女に取材しました。

「息子に無実を訴えて、彼は全能神に殺された」と彼女は言いました。

私は臥龍区潦河镇街の東の病院の向こうに住んでいます、息子は梁超です、生きていたら、今年16歳になったが、まだ私に手伝って野菜を買って行きます、残念なのは一昨年の夏に下範営村で全範囲教に苦しめて生きながら、こんなことのために夫は私の顔を腫れ上がった。

梁超は小さい頃に小児麻痺を患って、足が一つ長くて、一つ短くて、歩くと普通な人に比べて少し曲がって、家族はこの子を心配します。梁超の足は欠点があっても、頭が悪くない、潦河镇中学の頃に、クラスメートに笑わないように、毎日非常に早くて学校に来て、放課後皆がそろそろ離れた後に帰ります、勉強は非常に努力して、毎年でも賞状を取ります。しかし中学二年生時に、クラスのいたずら子は彼の後ろについて、彼の歩いて様子を学んでから、二人は喧嘩して、梁超は腹を立て学校に行かなくになります。

退学後、梁超は私について潦川街で野菜を売るに行きます、働く時に気がきく、野菜をきれいに洗ってくくって、きちんと置きて、帳簿もきれいにして、こっちはお金をもらったばかり、そっちの記帳が終わります。彼は私を手伝ってからというもの、本当に助けてもらって、時には彼を野菜屋に送ると、家に帰って別のことに忙しくて、毎日百元ぐらい稼いで、もう少なくないですよ。

野菜の屋台にくっついているのは、呉雲英の屋台です、呉雲英は潦河镇東姚営村の人です、私たちの屋台はそばにあるから、数年でも互いに世話をして、仲間がいいです。呉雲英は十日ごとに1~2日来なくて、彼女は「梁さん、私の屋台を誰かに占められないように気を配ってくれて」と私に言いました、何かをしますかと聞いて、彼女は主を信じるパーティーに参加すると言いました。暇があるときに、彼女は主を信じる利益を私に言って、何か镇平一人のびっこは主を信じる後杖を捨てて歩きできます、南召の一人が主を信じる後商売が百元ほど稼いで、私は半信半疑と聞いています。その後、教会へ説教を聞きに行ってと彼女は何度も私を勧めて、私は忙しいで断ります。こんなこと多くと、私は梁超の叔父は南陽市連合街に住んでいて、彼の叔母は主を信じるから行くたびに私を連合街の福音堂に連れて説教を聞くに行きます。呉雲英の口をゆがめて、「梁さん、彼女は信じている主と私達の主は違います」、「それはイエスじゃないんですか?」、「同じイエスですが、彼らの主を信じる方法で魂が生まれ変わることができなくて、死んだ後天国に行けません」。彼女は私を教会に連れて、彼らはどのように主を信じると見せて欲しい、逆らえなくて私が行きました。

朝5時から、呉雲英は私を呼んできて、電気自転車を乗って潦河から7500メートル距離がある下範営村へ、村辺の小さな庭に連れてきた、そこに10人くらいいます。下範営村は元々人里離れて、道路のそばにではなくて、交通不自由で、この家はまた村辺で、基本的に行き来人はいないです、庭に入って窓が閉めて、ドアに厚いカーテンを掛かって、怪しいと見ています。私たちは入ると、真ん中に座って男が経を教えています。彼は、全能神教は救う対象は地球上のすべて全能神を信じる人だと言って。または「中国文化をキリスト化にする」と言って、あれらの政府に従ってキリスト教徒は本物ではない、教を信じる同僚たちの魂を地獄へ連れて行く恐れがある。そして一人の女性が言い始めて、世界は終わりへ、地球は爆発になる、人間が滅ぼす限りに至って、ただ全能神を信じて不幸を除けできると言いました。呉雲英に聞いて、あなた達は信じているのはイエスではなく、全能神です。呉雲英はひっそりといって、全てはイエス様を信じています。話の間に、説教人の目を見開いて、私たちがすぐ黙っていました。

朝ご飯を食べなくて下範営に駆けつけて、12時で昼食を食べると聞くと、本当にお腹がすいた、呉雲英は私がいっぱい食べさせて、夜がご飯を食べない、一日一食だけと言って。食事の間に、私は聞きます、「この全能神と教会のキリスト教は同じではありませんか?どのように聞いても、ちょっと怖い感じがあるけど」。呉雲英は小さい声で、「どのように違うの、皆全部イエス様を信じだけど、私達の教は本物です、法力も強いです」。午後に経の歌を歌って、後自分が小さい頃から何かミスや悪いことをする何か、何か罪を犯す何か、交代で懺悔します。ずっと夜10時までやっと扉を開いて帰宅を許可します、疲れてお腹が空いて、もう少し倒ししまった。帰宅後、どうして呉雲英が呼んでも私は行きません、ちゃんと自分の野菜を売って、何の災難何か私と関係ない。

梁超は放課後私について野菜を売る後、呉雲英はいつも主を信じればどのように良いと彼に言っています、教には「神学院」があって、大学と同じです、全若い人がそこに勉強しています。そこに勉強すれば、卒業後「大学生」になります、外に「教を広く宣伝する」、梁超はまた小さいです、ちょっと勧めて心が動いた、教会へ経文を聞いて行きたい、私はその苦しいがよく知っているから、許さないです。呉雲英は何度も私に勧めて、その後彼女は、「梁さん、ほら彼の足が良くない、大人になっても結婚できないかもしれない、あなたと彼も信じてくれる、彼の足に治しできれば、お見合い何か簡単ではありませんか」「本当に彼の病気を治しできますか?」「絶対に治しできます、盲人でも治りましたね、あなたに教えて、私達の主は特に治せない病気に上手です」私はちょっと信じて、予約して梁超に連れて病気を治しに行きます、まだ病気を治した後私達は心から主を信じてあげてと答えた。1万元を教会に寄付しました。

2011年8月16日、呉雲英は私と息子を連れて下範営村へ病気を治すに行きます。そこに着いた後、部屋の中にすでに何人が待っていて、呉雲英は私に教えて、梁超の病気を治すために、わざわざ「牧場」の病気を治す達人を誘って、絶対に治しできます、私は心から有難いです。簡単に状況を言って、その太くて背が高い牧師はたぶんリーダーかもしれない、彼は主の光が世間に照らすと言って、私はよく分からないけど。そして梁超に祈って、初日はただ祈る、経を歌う、一日一食しか食べる、午前経を歌って、午後は隅でひざまずいて祈って、夜にも同じです、そのいくつかの牧師は本当に丈夫です、私と梁超はもう腰と足が痛くて、彼らは大丈夫です、私達は主を信じなければ神は力をあげないそう。第2日梁超の病気のために、彼らは梁超をベッドに横になってさせて、まず梁超に全身マッサージをして、特に細くて短い足にちゃんとします、私と呉雲英は跪いて祈ります。天気が暑い、お腹も空いていて、私は時に辞めたいです、でも牧師は息子のためにマッサージさせて、呉雲英も全身が汗を流すまで私と一緒に跪いて祈って、私の心の中には相手に申し訳ないと思います。梁超も汗が水のように流れています、そして時々「やあやあ」と叫んで、押す力が強いが、どう感じていますかと彼に聞いて、ちょっと熱くになりますって、それが働いたと思います。午後彼らは数枚の木の板で梁超の両足を挟んで、梁超は泣いて痛くて、私は可哀想と見ていてが、彼らは神が今梁超の再生を見ていると言った。挟み後、また一枚の板をおさえて、ひもで固定する、また上にレンガをおさえて、そしてピンと張っていて、梁超はベッドの上でひたすら叫んで、私は我慢できなくて、本当にだめなら諦めて、そんな苦しいをさせないてください。呉雲英は私を外に引いて、梁さん大丈夫です、彼は足のことで十数年も困ります、治すことは何の罪を受けないんじゃない、今日は治しできません、耐えるように、あなたはもう入らないほうがいいと思って。その後私たちはずっと遠い所に跪いて祈って、息子の呼びを聞こえないけれども、非常に心配しています。

夜終ると、梁超は私に言って「お母さん、足が死にまで痛くて、彼らは私を踏んで、もう少しで窒息しまった。治療したくない、家に帰りたい」。呉雲英は勧めて、「超さん、もし足を治った、あなたは慶(慶は呉雲英の息子)と一緒に背が高くてかっこいいですよ、また神学院で勉強できて、卒業すれば教会先生になりますよ、各地へ教を宣伝に行って、いいんじゃないんですか?」そして私は、また明日一日で治して、無理ならやめて、こんな罪を受けたくないんです。

第三日、依然として梁超に病気を治して、最初は私と呉雲英が外で祈りさせます。時間が遅すぎて、天気も蒸し暑くて、汗はひたすら流れていて、心も急いで、でも彼らは梁超の病気を治療するために苦労をしていても何の文句もなくて、お金もいらない、心の中には恥かしいです。今日の治療の間に、梁超は昨日より声が小さくになります、何か効果があるかどうかと思っているが、私の心はいつも慌てています。

どのくらいか、部屋の中に梁超の動きが小さいになって、しばらくすると、完全に静かになって、声も聞こえない、私と呉雲英も祈りを止めて、後その背が高い人がドアを開けて、呉雲英に入って。まもなく、彼女は出てきて、慌てて言って「梁さん、超さんの心臓病を引き起こして、昇天しました」「あ」と私は一時が反応できない、彼女は私を部屋の奥に引きずって、梁超はベッドに横になって、足と体上の板をもう除けて、顔はまだチアノーゼしている、口と鼻の息もうなくなった、私はあっけにとられた……

どう家に帰るもわからない、息子の遺体をトラクターで家に送った。ただ梁超のお父さんは数のビンタを私にはると覚えているだけ、呉雲英は教会の名義で5000元を送っています。梁超は急に亡くなった子だから、村の風俗で、止まりいけない、当日慌てて穴を掘って彼を埋めました。埋葬するから4ヶ月後、外で働いて梁超のおじさんは帰って来て、梁超のことを聞くと、テーブルをたたく、「愚かじゃないんですか、彼らは超さんが心臓病で死んでしまったと言っても、あなた達は信じていますか、明らかに彼らは超さんに苦しめさせて、そんな暑い日、食事もさせなくて、また足を踏み、誰か耐えますか?だめだ、通報をしなきゃ、彼らを命をもって償う」と言いました。私たちは警察に通報して、交番はまた息子の死体を掘り出して検死しますが、すごく腐っていますから、死因の確定は

をできない、結論も出さなくて、また証人も必要ですが。しかし私はアレらの人のことが全然知らない、教会はいつも仮名を使ってだから、呉雲英はもわからないと言って。私は呉雲英がアレらの人をかばって欲しいと疑って、この事で彼女と敵になった、証人を探しできない、証人も検死報告もありません、この件は今までも進めない、息子の無実は今までも証明できない。

私は自分が真実を分けないと恨んで、更に全能神の毒を恨んで、息子を殺した犯人は全能神です!

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