2015年の中秋節の前夜、私たちは丹東市障害者連合会リハビリテーションセンターの係員と一緒に東港市長山鎮新昇村へうちに帰ってリハビリテーションする老人を訪問に行った。老人は宮淑蓉と言い、今年69歳であり、長山鎮新昇村の農民である。十数年前、宮淑蓉は賢くて優しくて健康であった。うちの内外を問わず、仕事にかけては腕利きであった。主人は郷鎮企業で働き、彼女はうちで両親と子供の面倒を見た。農繁期になると畑仕事をし、農閑期になると鶏や豚を飼育し、豊で幸せな生活をしていた。
体を鍛えるために宮淑蓉は法輪功をし始めた
1999年の春、宮淑蓉の小学校時代のクラスメートである張桂蘭が彼女のうちへ遊びに来た。今全国各地の人は法輪功をしてい、この功はフィットネス病除けができるだけではなく、「精神修養」もできるし、「いい人」になることもできるし、「円満」になることまでできると彼女に教えた。張桂蘭が自分の経験を例にあげて教えさとした。修行してから1年後、体が良くなり、もともとの胃病も制御され、法輪功を修行しさえすれば、師匠が守ってくれ、体をきれいにし、医者に診てもらうことよりずっといい。病気になったら、注射や薬などいらない。誠意を込めて修行さえすれば病気にならないと詳しく宮淑蓉に教えた。宮淑蓉の胃がよく留飲し、それを聞いて半信半疑であり、やってみる考えを抱いて張桂蘭と一緒に東港へ法輪功を修行に行った。
宮淑蓉のうちの正門
宮淑蓉は昼夜を問わず修行し、「奶白体」(体にある黒いもの(いろいろな痛みも含め)をきれいにし、奶白体になる)になりたい
彼女は毎朝修行場へ2時間修業し、帰ってから張桂蘭と一緒に指導員のうちへ心得を交流に行った。宮淑蓉は法輪功を修行する時間が長くないが、記憶力が良いので、「法輪功」に対する悟りも速く、みなさんに認められた。一緒に修行していた人たちと修行の体得を話し合った時、「法輪功を習ってはじめて私たちが病気になるのはすべて「業力」(悪いことしたら、体に「業力」が出る)のせいであり、以前薬を飲むのは「業力」を後にし、全然効果がなく、もしこんなにいいものと接触したら、胃病の薬を一年中食べることはないと言った。毎日、彼女は師匠の要求どおりに自分の言動を厳しく規範にし、昼夜を問わず修行した。敬虔で誠実に修行していた宮淑蓉は自分がもう師匠の「法身の保護」をもらい、「法輪」はもう仕掛けられたと思い、頭が痛くても熱があっても薬を飲まなくなった。宮淑蓉は毎日長期間に座禅を組み、沿海の気候が湿っぽく、座禅の時間が長すぎて血液の流れが悪くなったため、宮淑蓉のの足、臀部の皮膚がだんだんかゆくなり、足、背中には浮腫性紅斑、大小まちまちなまめが出てきた。かゆくてたまらなかったので、まめを繰り返してかいた後、おできになり、おできが破裂した後、びらん面になり、さらに組織が壊死した。病状がかって放題に発展しても、宮淑蓉はどうしても病院に行かなかった。かえってひそかに喜んだ。たぶん『転法輪』が言ったように、体はきれいになり、「奶白体」になる前触れだと推測した。
病状の進みにつれ、宮淑蓉は常に熱があり、寒気もし、頭も痛く、吐き気もするようになった。彼女はこれらの症状を指導員に教え、指導員は修行をしている人が師匠の「法身」に守られて大丈夫であり、師匠があなたの体をきれいにしてい、「業力」はもう排出されたと彼女に教えた。指導員の言い方は自分の考えと期せずして一致し、宮淑蓉は身体のかいらんと痒みを我慢し、座禅、修行、法の学びをさらに決意が固くしかっりした。
宮淑蓉の奇形になった両足
宮淑蓉の両足が歩けなくなった
1999年7月に、国家依法取缔法轮功
国は法に基づき法輪功を取り締まった。宮淑蓉の皮膚がもうかいらんし、そして毎日かいたので、主人はちゃんと休めなくなった。主人と子供みんなは宮淑蓉に病院へ行くと勧めたが、宮淑蓉が相変わらずうちでひそかに修行し、張桂蘭とひそかに連絡した。しかし、指導員の承諾は宮淑蓉の痛みを軽減しなかった。長期間の座禅で、彼女の両足が歩けなくなった。右足が痛くなり、腫れ、硬直し始め、活動が制限された。右足の問題が起きたとき膝関節の痛みが持続性の鈍痛を覚えた。1999年立秋の後、気温が低くなった時、痛みがひどくなった。毎日、関節の痛みによりびっこを引いて歩くしかなかった。関節が腫れ、右足が奇形になった。だんだん全く歩けなくなった。
宮淑蓉が座禅した跡
これにしても、宮淑蓉は毎日師匠、大法、業力の消し、レベルの上がりを言っていた。主人と子供は修行をやめさせ、法輪が病気を治すことができなく、その上、多くの人を殺害したと新聞やテレビで報道し、早く病院へ行かせても宮淑蓉はうるさがって言った。「法輪功は業力を消すことができ、ちゃんと修行したら円満になれ、あなたたちは修行者ではないから、何もわからない」と。主人が修行をやめろというたびに、二人がけんかした。説得の効果がなかったから、主人は子供を呼び帰って説得した。しかし、彼女はかえってさらにいらいらになり、誰も法輪功が良くないと言ってはいけなく、この功法は精神修養もできるし、いい人にもなれ、いいところがいっぱいで一害なしと言った。そして、家族が何もわからなくて面倒をかけてばかりで、彼女の「業力の消し」に影響を与えたと責めた。このことは何年も遅らせられた。
宮淑蓉は障害者連合会リハビリテーションセンターに入った
2006年に、二つのことにより、自分のあらゆる行為を疑い始めた。一つは宮淑蓉をそそのかして修行した張桂蘭が心臓病でありながら、治療を断り、座禅する時なくなったということである。もう一つは港市長山鎮の法輪功のセンター長(彼女の指導員でもある)が2007年3月に自分で経営していたスーパーで自殺したということである。半年離れ、彼女を連れて法輪功に加入したクラスメートと先生がなくなり、彼女は悲しみと迷いを感じた。私が間違ったかと自分の胸に聞いてみた。
宮淑蓉の孫が大学を卒業し、今働いている工場
2007年に、宮淑蓉の大学で勉強していた孫はもともと元気なおばあさんが歩くことさえできなくなったが、毎日修行していたのを見て彼は腹が立ちながら痛みを感じた。彼は宮淑蓉の前に跪き、涙ながらおばあさんを病院へ行くと勧めた。親心の呼びかけの下で、。彼女はようやくすぐそこにある村の診療室へ行った。医者が診察した後、丹東市にある大きな病院へ行ったほうがいいと言った。
村の診療所
家族は宮淑蓉を連れて丹東のすべての大きな病院へ行った。長期間に座り、この単一の姿勢で軟骨の機能が喪失し、軟骨の下骨板が凹み、骨の嚢変と骨増殖して膝関節の奇形と脱臼を引き起こし、リハビリテーション病院へリハビリテーション治療を受けなければならない。転々とした後に2008年5月に宮淑蓉は障害者連合会リハビリテーションセンターに収容された。3年の科学的な治療を通し、病状が良くなった。しかし、もう細くなった右足がまったく前と同じになるわけがない。労働能力がなくなってしまった。現在、彼女は毎日ルームランナーで2時間練習している。
宮淑蓉はうちのルームランナーで
訪問が終わった。一緒に訪問に行った医者は丹東障害者連合会リハビリテーションセンターがもう法輪功をした人が座禅による腰と足の病気をいくつも治療し、宮淑蓉はそのうちの一人にすぎないと教えた。
(責任編集:梓桐)