ホーム  >  受骗者揭露

「法輪」を見つけるために妻を殺し、「修行を通じ、天国に飛び上がれる」という馬鹿なことを後悔して自殺で謝罪した

2016-04-13 ソース:kaiwind.com

 

18年前のある冬の夜、寒い風が吹いてい、暗くて何も見えなかった。突然、ある農家の裏庭から悲惨な叫び声が出てきた。このうちの13歳の娘さんは大声で目を覚まさせた。娘さんは裏庭に来て部屋の明かりでお母さんが血まみれになって雪の地に倒れているのが見えた。尖っているナイフがお母さんのおなかに刺してい、お父さんは呆然にお母さんのそばに立っていた。ぼんやりにこのシーンを見、娘さんは部屋に飛び込み、布団で自分を隠し、声が出ないほど怖かった。

これは1997年12月3日に黒竜江省鶏東県平陽鎮蒋朝俊のうちで出来たことである。蒋朝俊は法輪功に夢中になり、「天国に飛び上がる」ために、妻を殺して法輪を探した。その後、蒋朝俊はは後悔し、食べずに、飲まずに反省し、7日の後自分もなくなった。

先日、私は再びに蒋朝俊の叔父の蒋紹安のうちを訪ねた。何年も前のことであったが、彼らはこの悲劇が昨日出来たようにはっきり覚えていた。このことが残念だと思った上に、「法輪功」への恨みは当時以上であった。

一、勤勉で幸せな生活をし、「法輪功」を修行し人間性を失う

蒋朝俊、1954年に生まれ(事件の時43歳)、姜秀霞、1957年に生まれ(事件の時40歳)、二人とも河南省出身であった。1987年に、家族を連れて黒竜江省鶏東県に来、叔父の蒋紹安のうちへ身を寄せた。

蒋朝俊の叔母によれば、その時、蒋朝俊夫婦は30歳ちょっとであり、若くて力強く、勤勉な夫婦であった。蒋朝俊は煙草の工場でアルバイトし、たばこの焼きを担当していて、収入もなかなか良かった。姜秀霞はアイスキャンデーを売っていて、毎朝一番早く家をでて自転車に乗って卸売りに行った。時々、一日に二回行くこともあった。農繁期に彼女は揚げた菓子を作って圃場へ売りに行った。夫婦二人はかなり苦労に耐えられていたので、ほかのうちより豊かな生活をしていた。貯金は4万元以上であり、その時、3万、5万元を持っていたら、相当な数でお金持ちだったということであった。

 

蒋朝俊の叔父の話によると、1996年ごろ、姜秀霞は風邪で薬を買いに行く時、ある老婦人に出会った。薬を買う必要はなく、法輪功を修行したら、薬を飲まなくても病気が治ると姜秀霞に教えた。また、彼女に『転法輪』という本をあげた。姜秀霞はたくさんの字が読めないから、うちへ帰った後、主人に読んでもらった。だんだん彼らが「敬虔で過去の悪いことを解消することができる」ということを信じるようになり、さらに、「円満で天国に飛び上がる」ということに憧れ、1日も早く金の煉瓦で道を敷く生活をしたいと思っていた。そこで、夫婦二人は争って習い、修行し、暇さえあれば、座禅を組む。毎日狂気じみていて、夫は仕事をしなく、妻は家事もしなく、うちはうちらしくなくなった。ともすれば子供を殴った。二人が修行する時、時々部屋で飛んだり跳ねたりした。彼は妻を背負ったとか、妻は彼を背負ったとか、「飛び上がり」を練習したそうである。

隣の人の思いででは、蒋朝俊夫婦は「法輪功」を修行しなかった時、なかなかの夫婦であった。お年寄りを見るとあいさつし、「法輪功」を修行してから、性質が変わった。非常に高慢し、挨拶もしなくなった。みんなはひそかに議論し、「法輪大法がいい」のではなく、精神異常であろうかそうである。

二、「天国に飛び上がり」ができなく、「法輪」を見つけたく、妻を殺し、自分の人生を崩した。

蒋朝俊の叔母の蒋紹安の思い出によれば、「事件当日の朝、私は蒋朝俊に出会い、こんなに早く起きて何をしに行ったのと聞いた。彼は私の質問を聞いて歩けなくなり、震えながらわき道口まで行った。隣の豆腐を作っている孫さんも彼の異常に気付いた。「甥は何があったの?」と私に聞き、私は「知らない。今朝話しかけて、彼が震え始めた」と答えた。その後、その時はもう妻を殺したとわかった。それから、肖先生が来た。「どうだったか?」と私が聞き、肖先生は「だめだ。体がもう全く冷たくなり、口とおなかからナイフを刺し、もう死んでいた」と答えた。その後、蒋朝俊の述べによると、二人が夜中に「法輪功」の修行にはまりすぎ、「円満」だと思い、外に出かけ、交代で背負い、「飛び上がり」したかった。しかし、何キロも歩き、飛び上がれなかった。それから、二人はうちの裏庭に帰り、自分の「技」が強く、おなかに「法輪」があると思った。「法輪」を取り出してどちらの「法輪」が大きいか比べたかった。蒋朝俊は姜秀霞のおなかにある「法輪」を先にみたかったから、ナイフを姜秀霞のおなかに刺し、姜秀霞は絶叫で倒れた。姜秀霞の声が大きかったから、狂気になった蒋朝俊は姜秀霞の口に何回もナイフを刺した。その後、蒋朝俊は妻が「飛び上がった」と思い、自分も走りながら「飛び上がり」の様子をしていた。

 

夜が明けようとした時、血まみれの妻を見、蒋朝俊はやっと目が覚めた。呆然でどうしたらいいかわからなく、後悔の極みだ。毎日「私は馬鹿だ、私は馬鹿だ」「人は飛べない」「どうして私が「法輪功」を信じたの?私の子供はどうするの?」と繰り返してぶつぶつ言った。七日食べずに、飲まずに、精神崩壊であり、断食して亡くなった。二人の子供は強いショックを受け、仕方がなく、叔父と河南省に帰り、この悲しみに満ちたところを離れた。このもともと幸せな4人家族はこのように崩れた。

三、邪教「法輪功」を恨み、悲劇が再び出ないようにする

インタビュー期間中、蒋朝俊の叔母は「蒋朝俊夫婦の死は私たちにひどいショックを与えた。あの二人は私たちが生んだ子供ではないが、私たちが生んだ子供のように世話してくれ、私たちは甥を息子のようにした。この二人は「法輪功」を修行するために、自分の命も失い、まだ幼い無辜の子供を残した。これは私たちの一生の痛みであり、「法輪功」のせいで、こんな結果になり、私たちは「法輪功」を非常に恨んでいる」と感情的に言った。

蒋朝俊が妻を殺し、おなかを切り、「法輪」を取り出したい事件を見て心が痛んだ。村で大きな揺れを起こした。人々は自分の目で邪教がこんなに血なまぐさく、恐怖に満ちているのを見た。この痛ましい教訓をくみ取り、生活を大切にし、邪教を離れると決心をついた。

 

 

分享到: