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法輪功で翼を折った中国民航学院のある学生(写真付き)

2016-09-30 ソース:kaiwind.com

 

 

劉子榕

劉子榕、男性。1980年8月生まれ。四川省剣閣県城北鎮新華村人。小さい頃から成績がよかった彼は、もともと素晴らしい未来があると思われたものである。だが、法輪功に入信した彼は、人性を失ってしまい、自分の親まで傷つけようとして、自分の明るい未来をこの手で徒に壊してしまった。幸いなことに、親族や知り合いの愛情で、彼の運命は大転換を迎え、新しい人生がまた始まる。

村人たちの褒め言葉を浴びていた「さすがの誰かさん」

小さいごろから、劉子榕はまじめで単純な子供と思われており、幼稚園から高校まで、ほとんど毎年「徳育?知育?体育とも優れた子」、いわゆる「三好学生」と評されている。1991年、成績も日頃の行いも素晴らしいとのことで、彼は剣閣県文化教育委員会に「雷鋒と頼寧(いずれも英雄少年)に学ぼう」という活動の模範という称号を与えられた。1998年5月、全国中学生作文コンクールで三等賞を獲得した。1997年の秋、劉子榕は優れた成績で、当地の名門校?剣閣高校の「特優クラス」に入学した。1999年の春と秋、彼はそれぞれ二回、剣閣高校の「三好学生」に受賞され、先生や親、親族たちに大きく期待された。2000年の大学入試で、彼は中国民用航空学院(天津)飛行動力専門に採用された。これは故郷で大きな反響を起こした。ほとんどの人は、この平凡な家に生まれた彼が、これからきっと天に昇る龍のように、必ず立身出世できると固く信じていた。

天に昇る前に落ちた人

素晴らしいものばかりに見えるが、その陰になにか悪いものも潜んでいる。劉子榕は高校時代からよく頭がくらくらし、当時社会的な気功ブームがあるから、気功の本にお金を使ったことがある。効かなかった。1998年、劉子榕のご両親は多年の労作で疲れ切り、体に痛みなどの病気があった。法輪功の練習をしてみると、どうも効果的だと自覚し、それを劉子榕に勧めた。

大学に行く時、法輪功を修練していた伯父さんが劉子榕を所在地の天津まで送ってくれた。その途中で、彼は一所懸命に法輪功修錬のメリットを主張し、またパソコンを買ってあげるという理由で、彼に法輪功練習を勧誘した。2001年の冬休み、ご両親も再び法輪功練習の素晴らしさを大げさに教えてくれた。そこで、劉子榕は法輪功に関する本を読み始め、伯父さんととも習練を始めた。冬休みが終わって学校に戻った後でも、彼は毎日寮で練習しはじめた。隣の同級生たちは、法輪功は邪教組織だ、それを練習することは不法的だとして取り締まれたと彼を説得しようとした。

修練に明け暮れたため、劉子榕の学業がおろそかになった。数科目の試験にも出なかった。2001年春の期末試験で、彼の成績は大学一年の前30位(数学は2位)から後ろから1位になった。不合格の科目もいくつかある。担任先生やクラスメートの説得は彼を岐路から救えなかった。法輪功に溺れた彼は、自分の学業を完成させなかった。これは、空を目指す白鳥が翼を広げたばかりにすぐに墜落したかのようで、惜しくてたまらないほどだった。

外見も精神面から見ても廃人のよう

劉子榕のご両親はボランディアの助けにより、法輪功を再び練習しなかった。母親も「法輪功は邪教だ、二度と練習しないように」と彼に勧めた。

だが、法輪功の教義によると、絶対に後悔しない、諦めてはならない、さもなければ形も精神も壊滅するという。劉子榕は脱出しようとしても、その恐怖感に耐えられなかった。脱出するかしないか、交互に浮んできた考えで、劉子榕は自分の思惟をコントロールすることができなかった。彼の集中力はなくなった。ご飯を作る時に、鍋の中の水を焼き乾かしてもまったく気付かないで、鍋を壊してしまい、もう少しで火災になるところだったこともある。自分は何をしているのか、何を考えているのか、まったく知らなかった。走っている死体のようだった。彼は毎日ただ、おじさんと接触しないで、彼は法輪功信者だからと呟いていた。ある時、劉子榕が家に引き籠って、布団の下に隠れて、普通な生活もできなくなった。廃人のようだった。

2003年10月、劉子榕は四川華西病院に精神分裂症と診断された。家族の人はすべての財産を彼の治療に使った。大きな借金を抱えた。症状が見る見るよくなるうちに、「形も精神も壊滅する」という声はまた彼の脳の中で響いた。彼は昼も夜も眠れなかった。毎日一生懸命に塵を拭いたり、掃除したりして、自分を忙しくして、忘れようとした。ある時、劉子榕が食べ残したご飯をトイレの中に捨てる時、母に勿体ないから止めようと止められた。彼はすぐに法輪功のことを思い出した。自分の母は「魔王だ」と思って、殴りをかけ始めた。血がどんどん流れだした。駆け付けた父も彼に左の腕を折られてしまった。仕方がなく、両親は劉子榕を広元市にある精神病院に運んだ。自分の息子の憔悴している顔と狂ったような振る舞いを見ながら、二人は蔭で涙を拭くしかできなかった。

捨てられなかった彼は愛の中を新しく生きる

劉子榕は狂ったと村人たちはため息を吐いた。親族たちの心は痛かった。だが、周りのだれでも彼を救うために頑張っていた。彼の世話をするために、父は石工の安定な仕事を辞め、母は畑仕事を諦め、朝から晩まで彼のそばに見守っていた。結婚年齢にあるお姉さんも、縁談に来た人たちを断わって、出稼ぎに行った。お金を貯めて彼の治療に使おうとしているのだった。

当地の反邪教ボランディアの皆さんも彼のことに目を注いでいた。彼の心理問題の解決に、定期に家に訪ねてきた。こういう多方面からの愛で、劉子榕はだんだん社会復帰の道へ歩み出した。2016年1月、反邪教ボランディアの皆さんが彼の家に来た時に、ありがたいことに気がついた。劉子榕は村人たちとともに道を作ることで忙しかった。マイホームも持った。姉も結婚した。薬はまだ飲んでいるが、彼の一家は新しい生活を送っているらしい。

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