鐘淑雲です。定年退職者で、山東省高密市に住んでいる。
1998年前、私と夫は落ち着いて穏やかに暮らしていた。二人とも定職があったが、わたしはある国有企業の職員、夫は役所の公務員として定年退職したのである。年金はあまり高くないが、生活に何の不自由もなかった。二人の娘も結婚したし、私たちに何の心配もなかった。ただ、私の体はよくなかった。常に病気の状態にある。夫は以前よく出張したから、二人の子供を育てる重任は私一人が担っていた。そのため、胃病とか腰痛とかいう病気にかかって、一年中薬を飲まざるを得なかった。時には夜も眠れないほど痛かったのである。
ある日、一人の親戚がうちへ遊びに来た。病気で寝込んだ私を見ると、「法輪功」の練習をしようと勧めた。この「功法」を練習すれば、注射もしなければ、薬も飲まなくて、病気はそのまま治ることができると言ってくれた。最初、この世にはこんなにいいものがあるの、病院で治せない病気まですぐ治すことができるとは、どうも不思議だと思った。その後、この親戚はよく私を説得にきた。また練習用の書籍やテープを持ってきて、「法輪功」の素晴らしさを見せてくれた。1998年8月、一応やってみようかという気持ちで、私も法輪功を練習し始めた。最初は、あっ、本当に緩和効果があるなあと思ったが、だんだんそれは、ただルールに従って運動をした、また、心理的暗示作用が働いたと気がついた。1999年、「法輪功」は国によって取り締まられてから、私はもう「法輪功」を練習しなかったが、心の中では完全に忘れてはいなかった。
その後、わたしは重い病気にかかった。一緒に練習したある「同修」はこっそり訪ねてきて、病気にかかったのは大法を脱したせいで、「業力」は再び重くなったためで、それはお師匠様からのちょっとした罰に過ぎないが、引き続き練習して、「消業」を続けていけば、解脱することができるという。そこで私はまた練習を再開した。しかもますます深くまで引き付けられた。「練習」「消業」及びいわゆる「円満」のために、わたしは毎日ベッドで「座禅」「練習」のほか、外へ出かけて「同修」と心得を交流したり、朝か夜のうちにこっそりと「法輪功」の宣伝ポストを貼って、「真実を教える」などの活動に取り組んでいた。家のことは何も聞かなかった。子供を産んだばかりの娘の世話もしてあげなかった。「法輪功」を諦めさせるように、職場のリーダーたちや家族の皆さんが相次いで私を説得しようとしに来た。夫も硬軟両方の手段を用いて私に修練させなかった。何度も喧嘩したが、初心を変えることはなかった。
練習している間に、今でも悔しくてならないことが二つあった。一つは、2010年7月のある日、わたしはいつものように家で「練習」をした。夫はちょっとめまいがすると言った。ずっと高血圧や心臓病があった彼の体の具合は良くないから、私はあまり気づかなかった。練習を終えて部屋を出たら、夫は頭が側に歪んでいて、気を失ってしまった。今考えてみると、もしあの時、私がすぐに何かいい方法を取れば、例えば薬を飲ませるとか、救急車を呼んできて、病院に運ぶとか、夫はこの世を離れなかったかもしれない。
当時の私は何かに目が眩んだだろう。二人共に「法輪功」の練習をしようと彼に何度も言ったが、反対され、喧嘩までしたことを思い出した。罰を与えるべきだ、「消業」すべきだと思った。では、彼をこのまま他界させることが、「師匠」の言った「円満」ではないか。こうして、私の目の前に夫の体がだんだん冷めてしまった。娘たちが帰ってきて見かけたら、すぐ病院へ運んでいったが、もう手遅れで治らなかった。今にこのことを思い出すたびに、本当の犯人はこの私だと思っている。夫の死に私は心がひどく痛んでいる。後悔してたまらないのだ。
もう一つは、2012年、上の娘は自分の子宮に瘤一つが出て、良性でありながら、すぐ手術しなければ危いとお医者さんに言われた。わたしはすぐにそれを止めようとした。瘤が出たのは体の中に「業力」があるから、「法輪功」を練習すればその「業力」を取り除くことができる、あなたは私の娘なので、練習しなくてもいい、私が代わって練習してあげよう。「師匠」のお守りのもとで、必ず瘤を取れると言った。娘はとても親孝行で、小さいごろから話を聞いてくれたから、結局私の言ったとおり、手術をしなかった。
ある日、娘は体の中の瘤はとても大きくなった、今はもう突出して、手で触ることもできるほどだ、もし手術しなければ、癌になる可能性があるとお医者さんが言ったよと私に教えた。私はもし手術したら、私のことを信じない、「師匠」も「法輪大法」も信じないことを意味するから、その場合すぐあなたと親子関係を勘当すると怒った。幸いなことに、娘婿に脅迫され、病院に行って手術を受けた。取り出された瘤は1.5キロもあったという。手術したあと、二ヶ月も入院していた娘を、わたしは一度も見に行かなかった。今考えてみると、自分はいかに愚かなものかが分かる。夫は私のせいで死んでしまったのみならず、娘ももう少しで私に殺されてしまったのである。
2014年、市?町のボランティアが私とペアを組んで、よく家へ訪ねてきて、説得してくれたり、書籍やビデオ資料を見せてくれたりした。初めての抵抗感がだんだん消え、「法輪功」の本当の姿はちょっとずつ見えるようになった。その上に、家族と友達の説得と相まって、やっと自分が犯した大きなミスに気がついてきた。数十年も修行し続けていたいわゆる「大法」は、実は「法輪功」がかけた落とし穴みたいなものだ。今まで発生した出来事を考えてみると、まるで悪夢のように、顧みるに忍びないものである。
1998年に「法輪功」を練習して以来、無知蒙昧のままで、今日まで歩んできた。私の幸せだった生活は、「法輪功」のペテンで破壊されてしまった。数十年も手を取って、歩んできた夫が自分のせいでなくなり、娘ももう少しで殺されたことに、わたしはただ悔しくてならない。毎日涙に暮れて、食欲もなかった。ボランティアたちは心理学の専門家を探して、相談に乗ってくれて、娘たちも毎日側にいて、私を慰めてくれた。こうして、暮らしていく勇気も再び身に付いたのである。
家族や友達の支持のもとで、私は老人大学に通い始めた。書道や絵画を習い始めた。みなさんと書画についての知識を交流したりして、楽しい毎日を過ごしている。夜になると、公園の広場で同年くらいの友達と一緒に広場ダンスを踊っている。体を鍛える同時、情操をも陶冶している。時には、旅行にも出かける。今まで十数都市に行ったことがある。充実した生活はこんなに素晴らしいものだと感じている。今七十一歳でありながら、定年生活は素晴らしいものだと思って、これからも大切にしながら生きて行こうと思う。
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