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“三贖キリスト”からの“報い”

2016-12-09 ソース:kaiwind.com 作者:徐建国(口述)李婉茹(整理)

王春花は今年27歳、内モンゴル包頭市固陽県に住むが、見たところ同年代の人より生活の変化が多く、憂鬱な表情で、眼光はにぶく、全ての現実生活は自分と無関係であるように見える、彼女に何があったのか?  

王春花の父親は早くに亡くなり、家計の足しと病弱な母親を助けるため、中学2年生で退学し理髪を習って理髪店を始めたが、王春花の努力で商売はまあまあであった。この時、王春花は22歳、人の紹介で包頭鋼鉄に勤める徐建国と知り合ったが、徐建国は正社員で安定した収入もあり、二人は間もなく結婚、1年後に可愛い娘も生まれ、平凡だが幸福な日々であった。  

“報い1”―――親を失う  

王春花が24歳の年、母親が肝臓の発作で倒れ、毎日母親の世話をしてから幼い子供を抱えて店の商いをする辛い毎日であった。ある日、お得意様の“慧霊”が来て髪をやってもらったが、彼女は以前、王春花に熱心にお祈りをすると家の米が増えたという“実例”を話したが、王春花は気にしなかった。今日来てみると王春花が元気が無く、母親が病気なのを知って、慧霊は王春花の手を取り、“私達姉妹が縁あって知り合いになったが、こうして妹のあんたが苦労しているのだから、三贖キリストの神様にお願いして苦しみから抜け出させてあげる。”王春花が断わらないのを見て“三贖キリスト様はあんたが孤独で助けが無い事がわかっているので、あんたが三贖キリストを信心すれば助けてくれるだろう、一銭も使わないで母親の病気も良くなるよ。”と言った。王春は半信半疑で“本当に?”と聞くと、慧霊はここぞとばかりに胸を叩いて保証し、翌日三贖キリストの“姉妹”達が王春花の母親のところにやって来て王春花の頭にも白いハンカチをかぶせて一緒に膝まずいて祈らせた、“お母さん、三贖キリスト様の名前さえ唱えれば、神様と白衣の天使が平安を下さいます。”こうして王春花は訳も判らない内に“三贖キリスト”の信徒となった。  

この連中は毎日三贖キリストを王春花の家で念じていたが、王春花の夫が帰宅する前には消えてしまう。夫である徐建国は義母の様子が日に日に悪くなるのが判り、何度も王春花に“病院に連れて行こう、これでは手遅れになる。”と言ったが、王春花は内心お金を使わず病気が治る“奇跡”を想っていたので、口では賛成しながら毎日更に必死に祈っていた。疲れ果てたある日、王春花が祈りを終えて立とうとした時、目の前が暗くなって金色の火花が散ったので、思わず慧霊達の“白衣の天使が下りて来る”という話しを思い出し、更に固く“三贖キリスト”を信じて随って行こうと思った。  

週末、徐建国は最近妻の精神状態が良くないのを見て娘を自分の母親の家に連れて行き、王春花を数日休ませようとした。しかし徐建国と娘が出て行くと王春は三贖姉妹達に会い、昨日“白衣の天使降臨”を見たと話した。慧霊は時至れりと王春花の母親を“三贖キリスト”信徒の家に移そうと決め、“全心”で神が母親に“平安”を与えるよう祈り、皆で“神の名の下、跳ね、歌い、叫び、家じゅうの悪い事を全て神様に預ければ白衣の人が解決してくれる”と祈った。  

夜、夫の徐建国が帰宅すると義母がいないので春花に聞いたが、これまで王春花は夫に世界に“神”が存在するのを信じるか聞いてみた事があるがが夫は一顧だにしなかった。そのため王春花は本当の事を夫に言えず、慌てて“お医者さんに見せに行って、今家の片付けに戻ったところ、明日は母親のところに戻る”と嘘をつき、徐建国も賛成して明日一緒に見舞いに行こう、と言った。ところが翌朝徐建国が目を覚ますと妻の姿が見えず、テーブルにメモがあり“探さないで、母親が良くなったら戻って来て自分がした事を全て話す”とあった。徐建国は訳が判らず、妻は何故こんなに変わったのか、以前は何があっても先ずは自分に相談したのに、と悪い予感が頭をよぎり、王春花を方々探し歩いたが見つからなかった。  

実際は、王春花は夫がよく眠っている間に“三贖キリスト”姉妹の家に来て、皆と母親に祈り、神が白衣の天使を遣わして母親を治してくれると祈り続けたが、三日後、母親は息が止まり、一言の話しも無く、永遠に彼女から離れてしまった。  

王春花は悲しみながら家に戻り、中に入ると弟妹や夫が皆そこにいて、徐建国が“今までどこにいた?お母さんは?昨日は何も言わなかったから。”と聞くと、王春花は夫にくずおれて泣きながら“神様は母親を助けてくれず、母は行ってしまった!”と言うので、皆驚いて“神って何?病院へ行ったのではなかった?”王春花は泣きながら三日三晩祈り続けた事を告げた。皆は悲喜こもごもに王春花を責めた。“私たちの母親をどうしたの?神に母親が救えるの?!”その後、弟妹達は王春花を許す事が出来ず、行き来を絶ってしまった。  

“報い2”―――聴力を失う  

母親を亡くしてから、王春花は“三贖キリスト”の連中とは会わず、完全に決裂してしまった。しかし1ヶ月後、慧霊がまたやって来て、母親がどうしてこうなったか、王春の真心が足りず、邪魔する人もいたし、自身も軟弱だった結果であり、もし家族に“平安”を得たいなら一切を捨て去り、心残りを無くさないと報いを受ける、と言ったので、王春花は腹を立て慧霊を追い出してしまった。当日夜、看板を下ろして帰宅し休もうとしていると、突然電話が来て店が火事だというので、王春花は夫と駆けつけたが消防が既に消し止め、大した損害もなかった。翌日慧霊が幽霊のように店に現われ、煙に巻くように“王さん、店に火が出たでしょう、これが報いなの、このままだともっと恐ろしい報いがあるよ。”と言うので、王春花がしおれた茄子のように黙っていると慧霊が更に“私は2008年から活動を始めたが、2010年争いが起き、軟弱にも神を捨てた、すると動きがとれなくなり、続けて脳梗塞、頸椎軟化、腰椎、鬱病、脂肪肝となって数万元かけても治療効果が無かったが、今年310日執事の李さんが同情してくれて”“安息日”に案内してくれ、皆で祈り、更に“異能”行使“で私の病を全て平安にしてくれたので、私も恩に着て10日間に23人を”安息日“に入らせ、”福の糧(かて)“1.2斤を得て、新信徒8家族20人を立ち戻らせ、自分の改悟により再び”高立“し、仕事に打ち込んだおかげで18家族の兄弟姉妹が”生命の糧(かて)“を食し、自らの改悟が神の祝福を得て家族の兄弟は銀行カードで3万元を引き出し、家族は全員私の仕事を支持してくれ、家族も”光栄“にも三贖キリストに帰依して今は何の薬も必要なく病もすっかり無くなった。”と述べた。王春花は煽情的な慧霊に感化された。慧霊は王春花が孝行心があり、優しい人であり、そういう人は神のために生きるのだ、と誇張した。王春花に困難があれば助ける、とも言った。王春花も当時は“三贖キリスト”を試してみるだけ、と考えていたが、母親ももしかすると自分の信心が十分でないため逝去したのかも知れなかった。しかも家族が再度不測の事態に遭遇する事を恐れ、今回はしっかりと“三贖キリスト”に従う事にした。その夜家に帰り、夫に心の中を話したが、夫は烈火の如く怒って“お前が“三贖キリスト”とかを信心するから母親は亡くなったのに、もう忘れたのか?これ以上眼が覚めないならもうこれまでだ!”と言い終わるや娘を連れて出て行ってしまった。しかし王春花は、今後家族が幸福を得るために、もっと夫に説明すれば解ってもらえるはずだ、と考え、王春花は先ず自分から『霊程中救贖』と『効法閃光霊程』の内容を学習し、改めて自己を認識し、決心して“仕事”のため3日間絶食して祈った。  

それ以降、彼女は誠心誠意“三贖キリスト”を信奉し、“三贖キリスト”の連中と一緒に白いハンカチをかぶり、霊歌を歌い、“天国舞”を踊り、“検証会”に参加し、『霊程』を手本として“仕事”を進めた。“生命の糧(かて)”を買い込んで食べ、“三贖キリスト”の御利益と平安が自分と家族にくるよう待ち続け、商売をする時間も無く、店も閉じてしまった。  

ある日、王春花は夫の母親からの電話で娘の徐佳が高熱だが徐建国に電話が通じないので、母親として娘を病院に連れて行くように、と聞いた。それから何人かの“三贖キリスト”の仲間と義理の母親の家に駆けつけると、娘は40℃の高熱で、“三贖キリスト”の仲間はすぐに跪いて神様が子供に平安を賜るよう祈ったが、子供の呼吸はますます困難になり、顔も紫色となり、間一髪の所で徐建国が帰宅し、子供を抱いて病院に走った。医師は診察して、子供は急性喉頭炎であり、もう数分遅れれば危うかった、と述べたが、高熱で治療タイミングが遅れ、子供は聴力を失い、その後は無音の世界で生きる事になった。  

“報い3”―――離婚  

娘の事件に徐建国は激怒し、家に帰ると家中をひっかき回して王春花が家に隠してあった“三贖キリスト”の書物、ディスク、“十字架”全てを焼いてしまった。家族が一緒に楽しく、娘の徐佳は可愛いかった様子を思い出し、徐建国は地べたに座り込んで涙を流し、自分で自分の家庭を壊そうとした妻をどうしても許す事が出来ず、王春花と離婚し、二度と会わない事に決めた。王春花の精神も完全に打ちのめされ、再三にわたり跪いて夫と家族に許しを乞い、別れないよう求めたが、夫の心は既に決まっており、娘と家を出て行った。  

母親の逝去、娘の失聴、今回は家庭もばらばらになってしまい、王春花は魂も失くしてしまい、ある時は玄関でぼんやりと独り言を言い、ある時は涙ばかりであった。彼女は理解出来ない、毎日真面目に三贖キリストに“私の一家に平安を”と祈ったのに何故このような“報い”があったのか?  

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