当事者陳玉慧の近影
私は楊永珍、女、高卒、今年43歳、四川省宝興県の非鉄金属公司の社員である。母親は陳玉慧、1948年生まれ、小学校卒業、家は宝興県片馬郷黎家村六組である。十年前、門徒会の人間が“慈恵”の名の下に母親の代々の宝物を騙し取り、母親は騙されたと知って怒りで大病となり、危うく生命を失うところだった。これは一体どういう事だったのか?事情を皆さんにお話し申し上げる。
先ず2003年7月16日の事から始める。この日の朝、私と夫の彭光軍は5歳の息子を連れて母親の誕生日のため実家に行った。母親の家に着くと、玄関が閉まっていたので、“お母さん”と大声で叫んだが返事が無い。もう昼時なので、母親も仕事から戻って来るはずだと庭で待っていた。突然夫が“珍珍(私の幼名)、見ろ、お母さんが荷物を背負って帰って来たが一緒にいるのは誰だ?”見ると、長年会っていない叔母だったので夫に“あれは叔母の陳桂藍、十年前再婚して浙江へ行ったまま音沙汰が無かった。”と答えた。母親と叔母は家に着くと母親が驚いて“あら、あんた達どうして来たの?”私は母親に“お母さん、忘れたの?二年前に父親が亡くなってから誕生日もしていない、今日は貴女の55歳の誕生日、皆でお祝いに来たの”と答えた。
叔母が“珍珍は記憶が良くて親孝行だ、私の事は覚えている?”私は慌てて“覚えてる覚えてる、お母さんの叔母さんでしょ、浙江で金持ちになったと聞いているけど、幸せでしょ?”と言った。叔母はあちらで宝石の商売をして年中出掛けており、暮らしも良いらしい。皆でひとしきり挨拶してから、母親は玄関の鍵を開け、私に二人の荷物を運び込ませた。
荷物を受け取ると、ずっしりと重いので母親に中味はどんなお宝だと聞くと、母親は興奮して、“お前の言う通りだ、中の物は宝物よりもっと珍しい‘神様’から賜った‘お経’と‘みしるし’だ”と言った。私はよく解らなくて、みしるしとは何かを聞こうとすると叔母が続けて“珍珍、今や世の中は変わった、災難も多く、地球はもうすぐ爆発する、‘神’を信じ‘三贖キリスト’を信じれば災難を避けられ一家平安に???”と言い続けていたが、夫は荷物を置いて食事の準備をするように言った。
昼食の準備が出来ると、夫はご飯を盛り強ちゃん(息子の幼名)と食卓に座ったが、母親と叔母が部屋から出て来ないので、“お母さん!用意が出来たから食事にしよう”と呼ぶと、母親が“今‘お祈り’をしているから、先に食べなさい、私と叔母さんには少し残しておいてくれれば良い”と答え、しばらくすると母親と叔母は食卓に就き、食卓いっぱいの料理を見ると、母親が小声で叔母に“ねえさん、凡人は何も知らないんだ、世界の末日が来るというのにこんなに沢山食べて、‘飢え’が来たらどうするのかね?”と言い、叔母もうなずいて、母親とお椀のご飯の三分の二を“せいろ”(米を蒸す炊事具)に戻し、すぐに食べ終わって部屋に入って行った。
母親と叔母のおかしな様子を見て、私と夫は納得が行かなかった。はっきりさせる為、我々は息子をおもちゃで遊ばせておいて、こっそり母親の部屋の前に来た。よく聞いてみると、中では繰り返し“末日が来る、神は知る、門徒会信徒は世話をする。生命の水、生命の糧、経を念じて身体は強壮。銭を慈恵、物を慈恵、天国で元通り”と言い、しばらく聞いてから夫は私を庭に連れて行き、“珍珍、聞いたか?お母さん達は門徒会を信じているが、友人の話しでは、門徒会は非合法組織であり、国家は取り締まりを命令した。”私は夫に“光軍さん、そう言えば今お母さんと叔母さんが帰って来た時もおかしかった、どうすれば良いの?”夫は“先ずあの二人を呼び出して少し話してから考えよう”と言い、母親の部屋の前に戻ってノックしようとした時、母親が叔母に“ねえさん、あなたは‘門徒会’の‘神主’であり、我が家に‘福音’を伝え、‘みしるし’を語ってもう半年だ、しかもあなたと一緒に方々へ出掛けて‘開拓’を行ない、‘慈恵の銭’、‘慈恵の物’を‘神’に差し上げてひと月になるが、‘神’は何時我々を‘天国’に連れて行って幸せにしてくれるのか?”と聞くと叔母が“妹の玉慧よ、焦ってはいけない、心を込めて‘経’を読み、‘祈祷’をして‘功力’が昇るのを待てば、‘神’は自然に我々を‘天国’に連れて行ってくれる。しかも、あの日あなたも‘神’が言うのを聞いた通り、あなたが渡した代々家に伝わる宝はあなたが‘神’に成ってもあなたの物だ”と述べた。
母親が先祖から伝えられて来た宝鏡(鏡体は楕円形で縁には花弁の彫り物があり、両側には黄金の鳳凰が象嵌され、羽毛は細くて髪のようで、眼は光る宝石、鏡を開くと一面は普通の鏡面だがもう一面は拡大鏡であり、顔の産毛もはっきり見える。全体の黄金は年月を経てすり減って来てはいるが、以前と同様輝いており、赤みもさしている。小さい頃お爺さんが、これは清の乾隆宮殿のもので、代々伝えられて来たものだ、ものすごい値打ちがある、と言っていた)を他人に渡したと言うので、夫を呼んで力任せに門を開けてみると、目の前の光景に驚いたが、三本の蝋燭が灯り、母親と叔母が眼を閉じて壁に架けた“十字架”を印した白い布(後に判ったがこれは門徒会の得勝旗である)に向かい合い、ブツブツと呟いていた。
私は母に“お母さん、何故代々のお宝を他人に渡したの?これはお爺さんが生前お婆さんに渡し、お婆さんが臨終の時お母さんに渡して、必ず代々伝えるように言った物だ。一体誰に渡したのか教えて”と言い終わると、母親は目を剥いて大声で“放っといて、あれは‘神’に差し上げたので、‘神’が替わりに保管してくれる”母親がこう言うので、私は怒りを抑えて“お母さんは騙されている、あれは珍しいお宝で先祖が遺してくれた物で、他人には渡せない”と言うと母親は“‘神’は他人ではなく、私は忠実な‘信徒’であり、私が‘神’になってもやはり私の物だ”と言うので、私はただ“お母さんが‘神’に渡した物はもう既に売り払われている、信じないなら今から私を連れて行って実物を見せて”こう言うと母親は少し慌てて“珍珍、‘神’は町のバス乗り場横の二階に住んでいるけれど、ここからは遠いし、日も暮れて夜道は危ないから、明日の朝行こう、いいね?”横にいた夫もそうするよう目配せをした。
翌朝母親を起こしに行くと、部屋の入口は開いていて母親と叔母は既に起きていたので引き返そうとした時、母親の声で部屋に入ると、母親が呆然と座り込み、何か小声でつぶやいていた。急いでどうしたの?叔母さんは?と聞くと、母親は切れ切れに“昨夜、私は叔母さんと‘祈祷’をする内寝てしまい、夜更けに目を醒ますと、叔母さんがいなくなっていた”私はこれを聞いて、これは怪しい、叔母は母親が寝ている隙に逃げたのに決まっている、と思い、母親を支え、夫に息子を背負わせて町へ行った。バス乗り場の“神”が住む二階に上がると、部屋は無人で、机に本が2冊『母の慈愛』と『閃光の霊程』があり、床には門徒会のビラが散らばっていた。下に降りて家主に聞くと“夜明け前、女が一人来て男を呼んで出て行ったが、出る時何か相談していたようで、直ぐ浙江に戻らなければ、と言っていた。”これを聞いてから我々は公安に助けを求めたが、公安に事情を説明すると、話しを聞いてくれた劉警官が我々に、2名の門徒会の内女性の名前は陳桂藍だが、四川省以外の住所は不明で、男性は名前もはっきりしない、手がかりが少なく、捜査が難しい、あまり大きな期待は持てない、と述べた。
公安局から出て来ると、強ちゃんは夫の背中で眠っていた。私と夫が母親を助けて帰宅する途中、母親は独り言で“ああ、私が馬鹿だった、‘福音’だの‘祈祷’で平安だの、‘慈恵’が多いほど‘福’が多いなんて、全部嘘だ???”とぶつぶつ言っているので、私は慰めて“お母さん、もういいじゃないの、その他の災難は免れたのだから”と言うと母親はため息をついて“でも、あれは私達の唯一の家宝で、父親には必ず代々伝えると答えたのに失くしてしまい、先祖に申し訳ない!”と嘆いた。
母親が落ち込んでいるのを見て、私と夫は母親を家に送って行った。家に着くと、母親は壁に架けていた背負い籠を取って部屋に入り、門徒会のビラや書物を放り込んで台所に行き、かまど(当地の方言で、煮炊きする場所)に入れて全て燃やしてしまった。夕食時、母親は食欲が無いと言って少ししか食べず、うがいをして寝てしまったが???翌朝起こしに行くと、母親は高熱でうわ言を言い、全身震えているので私と夫は急いで病院に連れて行き、何日もかかってやっと回復した。
退院後、母親は衰弱し、また家宝の事で思い悩むのを心配して我が家に迎える事にした。しばらく経つと、母親は身体も丈夫になり、元気も出て来て自分から家事もし始めたので、夫は“珍珍、強ちゃんはまだ一二年幼稚園に通うのだから母親に送り迎えしてもらい、実家に帰さない事でどうだ?”私も、夫の言う通りであり、父親が早く亡くなり、母親は私を大きくしてくれて勉強もさせてくれた、今段々齢を取って来て農村に一人でいるのは確かに心配なので、夫に賛成して母親を引き留めた。次の年、母親は実家を処分し、我々と一緒に生活している。
こうして十数年が過ぎ、誰かが門徒会の事を言うと、母親は自分の実体験を話し、門徒会は人を騙す邪教であり、決して信じてはいけない、と言っている。
(編集責任:暁涵)