孫栄
山東省臨沂市河東区塔橋村に、徐志軍という村民がおり、その妻は孫栄といった。徐志軍は嘗て人が羨む幸福な家庭を持っていたが、妻が“全能神”を信心し、今では人も財産も空っぽになってしまった。
以前の幸せ
2001年、徐志軍はある電子工場に就職した。そこで孫栄と出会い、知り合い、愛し合った。孫栄は1984年3月生まれ、美しく善良で、話しも面白く、明るくおおらかであった。徐志軍は男の同僚から“羨ましくて憎らしい”と思われた。
2008年1月、彼らは婚姻の殿堂に入った。孫栄が妊娠2ヶ月になった時、徐志軍は彼女を出勤させず、家で安心して出産準備をさせ、隣のお婆さんも時々世話しにやって来た。2009年1月、可愛い子供が生まれ、一家は楽しく、幸せであった。
“神”の騒ぎ
2009年末のある日、母親が徐志軍に、“この数ヶ月、女性が二人ひと月に一回ぐらいお前の家に来るが、一人だったり一緒に来たり、孫栄はおばさんだと言うけれど、どうも違うようだ”と言った。
徐志軍は孫栄に誰かと尋ねると、“神”を信心している人だ、と言った。徐志軍はキリスト教だと思い、それ以上気にしなかった。それからしばらくの間その二人が来る事は無かった。(現在、徐志軍は既に、連中は近くの村の“全能神”メンバーで、孫栄を“全能神”に誘っていたと判っている。)
2010年春、孫栄はしょっちゅう子供を連れて遊びに出掛けるようになり、本来なら何でもない事だったが、徐志軍の同僚が“あなたの奥さんが子供を私の家に置いて出て行き、3,4時間すると戻って来る。ちょっと変だ”と注意を促がした。
徐志軍は気になり、孫栄にどこに行っているのかを聞いたが、彼女は言葉を濁した。それ以上の取っ掛かりも無く、一家の和睦もあり、徐志軍は追求しなかった。(現在、徐志軍は既に、彼女が“全能神”の神話を聞きにに行っていたと判っている)
その後、彼女は見たところ“聞き分けが良く”なり、出掛ける事も無かった。
邪教“全能神”にのめり込む
しかし、孫栄は人が変わったように、テレビも見ず、徐志軍とおしゃべりもしなくなった。母親によると、徐志軍の不在時、孫栄はイヤホンでMP3を聴いたり、表紙付きの何かの本を見たりしながら、つまらなそうに家事をしている。徐志軍が家にいる時、彼女はそれらを隠してしまう。
ある時、彼女が不在の時、徐志軍は彼女の書物を見つけた。『話しは肉体に顕われる』『神の三歩の働き精選』『子羊と新しい歌を歌おう』等で、MP3も1台あった。
徐志軍は読んでも解らなかったのでインターネットで検索してみると、驚いた事にこれらは全て邪教“全能神”のものだった。凱風ネットを通して、“全能神”が恐ろしく邪悪なものだと理解した。そこで、彼はこれら“全能神”の書物を全部破り捨て、MP3も破棄した。
孫栄が帰宅してそれが判ると、徐志軍を“悪魔”“サタン”と罵った。
その後、母親によると孫栄は相変わらず“全能神”のMP3と書物を見ていたが、もっと隠すようになった。徐志軍もしょっちゅう探し出し、見つけると2文字―――“処分”した。
家が集会所に
2013年4月、母親がまた徐志軍に“お前が出勤している時、あの二人がまたやって来て、いつもこそこそと部屋に閉じこもり窓も閉めてしまう。私が入って行くと、彼らはベッドに横になり、孫栄がシーツで覆い、私に見られないようにしている。週に2,3回来るが、午前8,9時に来て11時過ぎに帰るか、午後2,3時に来て4,5時に帰る”と言った。
そこで、徐志軍が一旦出勤してから休みを取って帰宅してみると、果たして母親の言う通りだった。
その女性二人は徐志軍をも“神”の信心に引っ張り込もうと企てた。徐志軍に対し、“神”の良さがどうこうと紹介し、“イエスは既に古くなり、今は‘全能神’の時代だ”、“もし‘神’を信じれば仕事はしなくても‘神’が物をくれる。去年私達が姉妹の家に行った時、お腹がすいた。姉妹がスーパーで即席麺を買い、帰宅してみるとお金が箱いっぱいになっていた。”等々の“奇跡”を話した。徐志軍は嫌悪しながら“私はあんた達の‘神’は信じない、出て行ってくれ、もう二度と会わない”と言った。
“全能神”に狂う
それ以降、二人の女性は来なくなったが、妻が家を顧みなくなり、頻繁に理由を付けたり或いは訳も無く出て行くようになった。
徐志軍はこれを阻止しようと、電動自転車をロックしたが、孫栄は自転車で出て行き、自転車に鍵を掛けると、彼女は歩いて出掛けた。
どうしようも無くなり、徐志軍は孫栄が“神”を信じている事を義理の母親に話した。義理の母親は孫栄を呼んで来て十分に説教しようと思った。母親は娘を部屋に閉じ込め、“お前は‘全能神’に食べさせてもらっていると言うが、私が一体どんな神なのか見てやる”と怒った。
しばらくすると、孫栄は狂い始め、家具や窓を壊して出て行くと騒ぎ始めた。両手はガラスで傷つき、血が止まらなかった。仕方なく、彼らは彼女を診療所に連れて行った。
包帯を巻き終えると、孫栄は母親に対し“服従”の態度を示し、“もう‘神’への信心をやめる”と言うので、母親は半信半疑だったが、徐志軍に家に連れ帰らせるしか無かった。
“全能神”からの離脱を偽装
翌日、孫栄は自分からホテルの仕事を申込んだ。彼女がまた仕事に出るようになったので、家族はほっとして、特に徐志軍は密かに喜んだ。
しかし3,4ヶ月後、徐志軍は友人から妻がまた出勤しなくなったと聞いた。徐志軍は急いでホテルにやって来たが、妻はいなかった。ホテルのマネージャーは“彼女は一週間休暇を取ったが、理由は子供の世話が必要、との事だった”と言った。
徐志軍は妻に電話を掛け“今何処だ?”
妻は電話で“ホテルで仕事”
徐志軍は“私は今ホテルにいる、お前はホテルの何処にいるのか?”
妻は口調を変えて“道で子供を遊ばせている”と答えた。
そこで、徐志軍は探しに行った。通りの角で二人は出会った。孫栄はびくびくして徐志軍から問い詰められるのを恐れていた。ちょうどその時孫栄の二番目の姉が通りかかり、一緒に実家に遊びに行こうと誘った。徐志軍はあまり行かせたくなかったが、妻がどうしても行くと言うので妥協した。
しばしの家出
孫栄は姉に“私と息子をバイクに乗せて行って欲しいので、ちょっとここで待っていて、電動自転車を預けて来るから、それから一緒に行こう”と言った。
姉は同意した。しかし見回しても孫栄は戻って来ず、携帯も電源が切れていた。姉は慌てたが、徐志軍に電話で話すしか無かった。
徐志軍は知り合いと孫栄を探し回った。電動自転車は見つかったが、妻は見つからなかった。一週間後やっと電話が通じたので、徐志軍はあれこれ口を酸っぱくして戻って来るよう頼んだ。
戻ってから、孫栄は臨沂へ仕事を探すと出掛けたが、適当な仕事が見つからなかったと戻って来た。家族は皆、彼女が“全能神”の活動に参加していると知っていた。
妻の弟が焦り、彼女を派出所に引っ張って行って自首させようとしたが、彼女は派出所の入り口で泣いて謝り、“放して、もう‘神’は信じないから。”と言った。
彼女が本当に目が醒めたのか、家族は彼女を実家に連れて行き、厳重に監視した。数日後、まともになったようなので、徐志軍は家に連れ帰り、生活は元の静けさを取り戻したようであった。
一切を放擲
2014年7月9日、徐志軍が帰宅すると妻は不在で携帯電話も電源が切れていた。徐志軍は悪い予感がして、急いで母親に聞いてみると、母親は“昼食の前に、子供を預けに来て、臨沂に用事があると出て行った”と言った。
徐志軍が家に帰ると、携帯電話や身分証明書は家にあり、コンピューターを置いた机にメモ書きがあり“徐軍、絶対に探さないで、私は臨沂に仕事に行きます。期間は最長で半年、自分で帰ります???”
被害は何時までも
1枚のメモ書きで、孫栄は父母兄弟、夫と子供、幸せな家庭を捨て去った。
多くは書かないが、孫栄の身内友人は寝食も落ち着かず、長い長い人探しの道に踏み込んだ。
徐志軍は息子を母親に預け、仕事も辞め、臨沂等に行って妻を捜した。考えられる方法は全て考え、可能な方法は全て実行したが、茫々たる人の海の中で今に至るまで音信は無い。
7歳になる息子はママについて話したがらず、人がママを想うかと聞くと、年齢に不相応な沈黙を表わし、時に話しても“―――要らない”と言うだけで、“ママ”の二文字を言いたがらない。
孫栄の母親は58歳、娘を想う心が苦しく、話しも乱れがちで気持ちもぼんやりしている。今年6月6日、料理しながら娘の事を考え、失火してしまったが、幸いにも村民と消防警察がすぐさま救急し、人身は無事で家屋も残ったが、直接の財産損失は6万元近かった。
徐志軍一家の遭遇は改めて“全能神”がもたらすのは害悪のみで、“奇跡”などは全く無い事を示した。“神”より人を信じるべきであり、“神”より家を恋するべきである。