私は鄧星といい、湖南省宣章県紅悦大酒店人事部で働いている。2009年10月5日、ホテルに新しい同僚が来て、欧陽晨という。私は仕事開始の手続きをしてやり、倉庫管理の仕事を手配した。彼の身分証では、1988年11月16日生まれ、家は宣章県麻田鎮四渓村である。彼は私のホテルの同僚の夫の兄の甥なので、私もいろいろ関心があった。欧陽晨の家では姉二人は既に結婚し、父親は温厚篤実な人で、農作業と出稼ぎをし、母親が家事を受け持って、一家は金持ちではなかったが、楽しそうだった。しかし、家族で“全能神”という邪教を信仰してから、おかしい事が続き、家庭は家庭でなくなった。
――――一家5人が邪教を信じる、“招遠殺人事件”版の家庭
2011年5月、欧陽晨の母親が長期間大腿部の痛みに悩み、外地で布教する人間の話しを信じ込み、“全能神”邪教(本人はずっと自分は“キリスト”を信じていると思っていた)に加入し、毎日祈祷した。ある日、母親は突然元々の太腿の痛みが少し好くなったと言い始め、続けて立て板に水の如く、祈祷で病気が治った“奇跡”を説明し、家族に“神”を信じるよう“導き”、更に“世界末日”が間もなく到来して、信じる者は昇天し、信じない者は地獄に落ちる、と言った。嫁いだ二人の娘も“神”を信じるよう呼び戻された。その後、一家は魔物に取り憑かれたようになり、何もせずにただ“神”を奉った。元々家に余裕は無いのに、金を“神”に献上した。欧陽晨は“神”を信じ始めてから仕事も頭になくなり、しょっちゅうさぼり、いつも組織の更に高い階層を求めていた。ある時、欧陽晨は外地の布教者に連れられて暗い家屋に入り、十数日連続して“閉門”聴聞(実際は洗脳)を受けて外出を許されなかった。その内、欧陽晨は内部で“幹部分子”となり、内部で“知名度”が上がった。家でも皆は彼のいう事に従った。この家庭は私に招遠殺人事件主犯である張帆の家庭を思い起こさせた。張帆の家庭も5人家族で、父母と姉弟が3人、全員が“全能神”を信じ、何もせずただ“神”を奉っていた。張帆の家庭と比べると、欧陽晨が張帆の役割だった。
―――彼は簡単な仕事も辞め、大金で店を借りて“集会”
もし親戚の世話が無ければ、いつもさぼっていた欧陽晨はとっくに馘首されていただろう。2012年7月、欧陽晨は出勤しなくなり、給料も受け取らなかった。自分の腕前を見せるため、欧陽晨は町の富豪路に2間の店を借りて“商売”を始めた。当時、その辺りの店は少なくとも毎月2,000元の店賃で、更に数万元の譲渡金が必要だった。彼は、表面上は商売しながらも、実際は一つの拠点を作り、毎週火曜日と土曜日に自分が引っ張り込んだメンバーに連絡してここで集会を行ない、“神討論”を行ない、一緒に祈祷した。この集会は秘密であった。更に人を増やすため、欧陽晨はよく我々のホテルに来て同僚達に“店”での集会に参加し、話しを聞くよう呼び掛けた。同僚達は話しを合わせながらも、これは“全能神”で、“東方の閃光”とも言い、邪教で、“世界末日”は出鱈目だ、と言った。欧陽晨は同僚の忠告にも耳を貸さず、逆に、信じない者は地獄に落ちる、と怒っていた。
―――家族で“神”を信じ、親戚全員との行き来が絶えた
欧陽晨の紅悦大酒店にいる親戚は私に、欧陽晨一家が“神”を信じてから、全ての親戚が行き来を絶った、と言った。欧陽晨は恋愛、結婚、子供の出生全てを親戚に連絡せず、披露宴も開かず、親戚友人と一度も会食しなかった。これは当地では想像も出来ない事であった。顔を合わせた親戚が尋ねると、彼の口からは、“神”を信じる者は披露宴を開いてはならず、これは神に対する最大の不敬である、との事であった。ここ数年、欧陽晨の母親は不治の病だったが、親戚はこの知らせを聞かなかった。親戚の中で、誰かが祝い事や誕生祝いをしても、誰かが入院しても、欧陽晨一家がやって来た事は無かった。親戚達は何故なのか解らなかったが、一家は皆“神”を信じていて、身内の情はとっくに無くなっていたのである。
―――母親が発病しても医者にかからず、“祈祷”が症状を誤らせた
欧陽晨の母親の症状は祈祷にも拘わらず一日一日と悪くなり、とうとう寝たきりとなった。村の隣人達は皆一家に対して母親を病院に連れて行き診察を受けるよう勧めた。しかし欧陽晨は“神さえ信じて毎日祈祷すれば、全ての病は除かれ、心から福音を伝えれば、神の加護が得られる”と言った。こうして、子供達は母親を“神”に任せ、外で“福音伝授”に忙しく、家に帰らない時間もますます長くなり、家の状況も構わなかった。結局母親は苦痛に苦しみながら、隣人の世話を受けた。死に臨んだ人間は生きる欲望が出るのだろうか、隣人達が自分の面倒を見てくれるのを見て、母親はついに悔恨の涙を流した。彼女は一家が再び集まり、子供達が孝行してくれ、病院で治療して生活する事を望んだが、後悔は既に遅過ぎ、欧陽晨の母親は2016年の冬に末期癌で世を去った。
―――母親は恨みを含んで逝去したが、葬られる場所も無い
欧陽晨の母親の逝去で、私は“全能神”家庭の冷たさを見た。父親は母親の死は本人が心を込めて“神”を信心しなかったからだと考えていた。二人の娘と息子は居所も不明で、誰も母親の後事をしなかった。これには村の幹部も慌てた。村の幹部は欧陽晨の姉弟の居所を探し回った。やっと欧陽晨の電話につながった。しかしながら、欧陽晨の答えは驚くべきもので、“神”こそが最大であり、家に帰って母親の葬儀をする事は、即ち心に“神”が無い事になる、というものだった。村の習慣では、死人は大事で、土葬して遺体を残すというものだった。欧陽晨の父親は“我々は神を信じて土葬はしない”と言うので、村人達も仕方なく、広東坪石鎮葬儀館の車を呼んで母親の遺体を運び火葬にした。欧陽晨の父親はそのまま立ち去ろうとしたので、村人達は皆で引き留め、火葬の手続きも行ない、骨を受け取った。村の人達がほっとしていると、父親は骨壺を河に投げ捨て???欧陽晨の母親は死しても、葬る場所さえ無かった。母親がもしあの世でこの事を知ったら、必ずや一家をこのような岐路に連れ込んだ事を後悔するであろう。
結論:“神”の事業のため、欧陽晨の二人の姉と弟の居場所は今なお不明である。3人とも家有り伴侶有り子供有り、背後には各々3つの家庭があるのだ!事情が我々ホテルの同僚達に伝わると、皆ため息をつくばかりであった。皆さん、邪教の害は身近にあり、平素から身内や友人には、邪教から遠ざかるよう話して欲しい。